まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

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    1: まぜるな!キケン!! 2019/11/25(月) 21:40:17.85 ID:CAP_USER
    [アンカー]日帝強制占領期間、4千人余りの親日行跡を記録した「親日人名辞典」が発刊されて今年で10年になります。しかし、辞典に名前が載っている親日要人の中で68人は依然として国立墓地に埋まっています。このように、まだ清算されていない親日の跡が残る中、我が国でもヨーロッパの「反ナチ法」の様ないわゆる「親日美化禁止法」制定の動きが起きています。ナ・ヘイン記者が報道します。

    [記者]去る2009年11月、白凡金九(キム・グ)先生の墓前で親日人名辞典が初めて姿を表わしました。発刊当時、保守指向団体を中心に激しい反対が起きましたが、私たちの社会に隠れていた親日の人々を初めて世界に表わしたという評価を受けました。

    [ユン・ギョンノ/親日人名辞典編纂委員長(去る2009年11月8日):反民特別委でやろうとしてできなかったことで、それで60年かかりました。民族問題研究所18年、(編纂)委員会が結成されて8年で…。]

    政府は辞典の発刊を契機に国家有功者20人の親日行跡を新しく発見し叙勲を取り消しました。民族問題研究所が辞典発刊10周年をむかえて質問調査した結果、市民は親日人名辞典が誤った歴史を正し、親日問題の公論化条件を用意したと評価しました。過去の歴史清算は韓国社会発展と統合に役に立つ、という回答も多かったです。

    [キム・ハウン/江原道(カンウォンド)、春川市(チュンチ ンシ):とても意味あると思います。偉大な独立活動家や愛国の志士も記憶しなければなりませんが、間違って記録されていてそうしたのは本当に真実を明らかにして、また、私達の子供たちに伝えなければならないので…。]

    しかし、まだ行く道が遠い、という指摘も多いです。ただし、六人が埋まっている国立ソウル顕忠院の第2将軍墓地、このうち半分である三人が親日要人です。

    [パン・ハクジン/民族問題研究所事務局長:(日本軍将校出身)イ・ウンジュンは朝鮮青年が日本軍人になって天皇陛下のために命を捧げるのはこのうえない光栄だ…。イム・チュンシクは間島(カンド)特設隊という代表的な悪質部隊です。朝鮮人が朝鮮人を捕まえなければならないといった…。]

    親日反民族行為者の国立墓地移葬議論は数年続いてきましたが、依然、遅々として進みません。こちら将軍第2墓地を含むソウル顕忠院に埋まっている35人、大田(テジョン)まで合わせれば合計68人が親日人名辞典に名前を上げています。移葬議論とともに、民族問題研究所と光復会は次の第21回国会で「親日美化禁止法」制定を推進しています。

    [キム・ウォヌン/光復会長:ドイツの場合、ナチに対して称賛したり歪曲したり(すれば)刑事処罰をします。親日にルーツを置いて分断に寄生してきた、こういうものが私たちの社会に主流を形成しているので…。]

    光復会は来年、総選挙に出馬するすべての候補に「親日美化禁止法」発議に関する意見を聞いて公表する計画です。

    YTNナ・ヘインでした。

    ソース:ytnニュース(韓国語)'親日要人'依然として国立墓地に...'親日美化禁止法'推進
    https://www.ytn.co.kr/_ln/0103_201911250430117406

    引用元: ・【韓国】 依然として国立墓地に眠っている「親日要人」の移葬を...「親日美化禁止法」推進[11/25]

    【墓まで掘り起こす【韓国】 依然として国立墓地に眠っている「親日要人」の移葬を...「親日美化禁止法」推進[11/25] 】の続きを読む

    1: まぜるな!キケン!! 2019/05/24(金) 15:49:59.69 ID:CAP_USER
     最近は使用頻度が減ったような気はするが、少し前まで英語など外国語で書かれた本をよく「原書」で読んだ。英語、ドイツ語、フランス語など欧州の言語で著述された本に、「根源」を意味する「原」の文字をあてたのは明治時代(1868~1912年)の日本人だった。「原語」という言葉もこのときに登場した。 

      江戸時代(1603~1867年)の社会・文化的現象を説明するには、そのときまで使っていた土着の日本語でも充分だった。だが、新しく受け入れた西洋の科学技術や文化を表現するには力が足りなかった。著名な東洋史学者の岡田英弘氏によると、日本社会は欧州の言語を「原形(モデル)」とし、新しい語彙と人工的な文体を作っていきながら変化に対応していった。 

      ◆魅力失った「日本モデル」 

      19~20世紀、日本は西洋をモデルとして国家構造を変え、経済システムを新たに構築した。解放後、韓国は相当部分を日本を通じて受け入れた西欧モデルに沿って社会と経済発展の道を探した。その過程で、進んだ社会の経験から学び、彼らが切り開いた技術と知識を安くで手に入れ、スピーディーで効率的な産業化を実現した。 

      一時は日本で成功した商品や事業をそのまま導入すれば韓国で無難に成功することができた。大企業創業者が東京で新事業を構想するのも見慣れた風景だった。 

      今でも日本のスーパーに行ってみれば「バッカス」「セウカン」「ミウォン」のような韓国の代表的な飲食品製品とそっくりの商品が散在していて驚く。日本を「原形」にしてきた過去の遺産だ。 

      その時は「日本の現在は20年後の韓国の未来」という表現も大きな拒否感なく受け入れられていた。このような考え方が急激に説得力を失ったのは2010年ごろからだ。当時、サムスン電子がソニーやパナソニックなど日本電子会社9社の営業利益をすべて合わせた額より多くの利益をあげたことは「日本モデル」に終止符を打った象徴的事件だった。物を買うたびに1円のお釣りをやり取りする風景、まるで1980年代「鍾路(チョンノ)書籍」に戻ったきたかのように書店で紙カバーで本を包む姿は、過去の慣習が化石のように残った「ガラパゴス」事例として戯画化された。 

      ◆反面教師の役まで捨てて 

      問題は日本モデルを廃棄する過程で反面教師にできることまで一緒に捨ててしまっているということだ。韓国より先に超高齢社会に入り、バブル崩壊後の長期不況に苦しめられた日本の経験は、依然として参考にできる点が少なくないが、すべてをひっくるめて時代遅れ扱いしている。いや、全く関心がないというのが正確な表現ではないか。 

      高度成長期に首都圏郊外の周辺に大々的に建設して今は高齢化で空っぽの都市になった新都市、企業活力を刺激して投資を促進するより福祉拡大に重点を置いたところ大量失業で「ロスジェネ(失われた世代)」だけを量産した経済政策、互いを「暴走老人」「(学力低下の)ゆとり世代」となじり合う世代葛藤などは、今日の韓国がしっかりと心に留めて見つめなければならない姿だ。 

      最近、不振を免れない韓国の経済状況、論争の多い新都市建設決定過程を見ると、過去に日本が歩んだ「失敗の道」をそのまま踏襲しているような姿だ。むしろ今が日本に対する勉強が最も切実な時点ではないかと思う。 

      キム・ドンウク/東京特派員※本記事の原文著作権は「韓国経済新聞社」にあり、中央日報日本語版で翻訳しサービスします。

    https://s.japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=253712&servcode=100&sectcode=140
    [ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版]2019年05月24日 09時36分

    引用元: ・【韓経/コラム・中央日報】依然として学ぶことが多い日本[5/24]

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