まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:伽耶

    1: まぜるな!キケン!! 2021/09/07(火) 23:13:25.12 ID:CAP_USER
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    ▲南原伽耶古墳.
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    ▲大統領府の国民請願に上がってきた「南原(ナムォン)を任那日本府奇聞国でユネスコ登録する南原市と文化財庁は売国行為を中断せよ」と請願。(写真=国民請願キャプチャー)

    「伽耶古墳群」のユネスコ世界文化遺産登録申請が全北(チ ンブク)南原(ナムォン)の地名を「キムン(己汶=さんずいに文)」、慶南(キョンナム)陜川(ハプチ ン)の地名を「タラ(多羅)」とした「日本書紀」の内容が基になっているとし、これを防いでほしいという大統領府国民請願が上がってきた。

    現在の全北南原市と慶南陜川郡、金海市(キムヘシ)咸安郡(ハマングン)、固城郡(コソングン)、昌寧郡(チャンニョングン)、慶北高霊郡(コリョングン)など過去の伽耶国に属した7市郡は地域内の伽耶古墳群を対象にユネスコ世界文化遺産登録を推進中だ。

    自国の文化遺産を世界化させる代表的出口としてユネスコ世界文化遺産登録が活用される状況で、請願内容が指摘するのは登録申込書に南原は「キムン」、陜川は「タラ」と表記されたまま進行中という点だ。

    日本は4世紀後半、韓半島南部地域に進出し、百済・新羅・伽耶を支配し、特に伽耶には「日本府」という機関を置いて6世紀中葉まで約200年間、自分たちが直接支配したという内容の「任那日本府説」を主張している。

    一方でこれを根拠に韓半島侵略は「古代日本領土を取り戻すためだった」という主張まで展開している。

    該当請願には「日本の『任那日本府説』は私たちの過去の『伽耶』を『任那』に、南原を『キムン』に、陜川を『タラ』と表記しており、『日本書紀』はキムンとタラを自分たちが治めた任那の小国と記述する」と書かれている。

    このように「日本書紀」に土台を置いた南原市陜川郡の申込書は日本の歪曲された主張を認める格好になるので、これを防いでほしい、というのがこの請願の骨子だ。

    それと共に様々な歴史的根拠を聞いて▲任那=伽耶説の始まりと展開▲キムン=南原説の始まり▲任那=伽耶説批判▲キムン=南原説批判など一つ一つ事実の説明と歪曲の批判をしている。

    請願はこのような歴史歪曲の原因を植民史学者の歴史認識に求めて、日帝と植民史学者が『任那日本府説』を事実化するために主張した「伽耶=任那」説を現代に批判なしで受け入れた点を指摘した。

    ムン・ジェイン政府初期、ムン大統領の伽耶史復元指示が嶺湖南(ヨンホナム)和合と「任那日本府説」に対応するためであったにもかかわらず、そのために伽耶復元が「日本書紀」を根拠に試みられることによってムン大統領の意志に逆行してしまった、という主張だ。

    請願には最後に「万人の精神が生きている南原にとって日本植民地『キムン』とは何なのか?」「南原伽耶古墳群からキムンを削除して登録せよ!」等の要求事項がある。

    去る8月20日上がってきて9月19日締め切り予定の「南原を任那日本府キムン国でユネスコ登録する南原市と文化財庁は売国行為を中断せよ」請願には7日午前まで3258人が署名した。

    キム・ジョンヒョ記者

    ソース:ニューシス(韓国語)"日本書紀根拠ユネスコ カヤゴブン登録防いでほしい"青請願
    https://newsis.com/view/?id=NISX20210906_0001574110

    引用元: ・【世界遺産】 「日本書紀を根拠とする伽耶古墳群のユネスコ登録申請は売国行為、やめて」大統領府に請願[09/07] [蚯蚓φ★]

    【また捏造するのか【世界遺産】 「日本書紀を根拠とする伽耶古墳群のユネスコ登録申請は売国行為、やめて」大統領府に請願[09/07] [蚯蚓φ★]】の続きを読む

    1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2017/04/06(木) 23:07:42.87 ID:CAP_USER
    2012年11月1日付日本産経新聞科学セクションに地図が一つ掲載された。「ゲノム分析による日本人の遺伝系統概念図」。当時、ちょうど研究が終わり発表された日本人の遺伝子分析結果報告書の内容を要約して視覚的に見せる地図だ。国立遺伝学研究所集団遺伝研究部門の斎藤成也教授チームが100万個の塩基を一度に比較分析できるシステムを利用、それまで議論が多かった日本人の遺伝的系統を明確にした。下の地図は産経新聞に載った地図をそのまま、日本語部分だけ韓国語に変えたものである。

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    この報告内容を歴史的脈絡に対する補足説明を加えて要約すると以下の通り。
    (中略)

    近代期に入ると日本はすぐに最近まで韓半島から受けた影響を根本的に否認してきた。植民地時代には無知蒙昧な朝鮮人たちを自分たちが「啓蒙」して良い暮らしをするように導いてあげなければなければならない、と主張し、1960年代まで自分たちはどんな血も混ざらなかった「純粋血統」天皇の子孫という点を強調した。

    1970年代、古代東アジアで活発な交流があったという証拠が次から次へあらわれ始め、特に石器時代を抜けた弥生文明は日本外部から海を渡って来た人々の影響であることが確実になった。それにもかかわらず、日本は韓半島の影響を認めようとしなかった。日本に古代文明を起こした「渡来人はシベリア、中国、東南アジア、オーストラリアおよび太平洋諸島、韓半島などからきた」というふうに、韓半島からの影響を希薄にしようとしてきた。

    しかし、科学はイデオロギーを跳び越える。もちろんすべての科学がそうではない。操作された実験と論理でイデオロギーに従う科学ではなく、本当の科学がそうだということだ。日本の遺伝学界の中でも最も権威を認められる国立遺伝学研究所、東京大医学研究科、総合研究大学院大学生命科学研究科などの研究陣が共同研究した結果、出てきたこのゲノム分析は総合研究大学院大学ホームページに全文が載っており、産経新聞のような代表的メディアにものせられて大衆的にも知らされた。

    どういう理由か現在の該当産経新聞記事のリンクは開かないが、この報告での全般的な内容はすでにオンラインで相当数の日本人ブロガーに共有されている。これまで誰も言わなかった歴史的真実を先端科学が証明したわけだ。すなわち伽耶人たちが日本に渡っていって日本の古代文明を起こしたということだ。日本の原始時代を閉ざし古代社会を開く弥生文明の跡は日本本土全域に現れるが、渡来人によって九州北部地方から始まったことは定説として受け入れられている。今まで、弥生人と韓半島南部渡来人の間の遺伝学的関連性が明確ではないことになっていたが、今回の研究で弥生人は韓半島南部から来た人々の子孫であることが明らかになったのだ。

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    ▲韓半島から稲作や文化、技術が日本に伝えられた2000年前を再現した日本の吉野ヶ里遺跡。(c)聯合ニュース

    この様な脈絡でイ・ジョンギの《伽耶の王女、日本に行く》はまた、驚くべき先駆的洞察を見せる。日本初の古代国家とされる「邪馬台国」の開局始祖と伝えられる卑弥呼という女性は、伽耶王室から渡っていった女性という主張だ。この主張もやはり、これまで韓日歴史学界から正当な評価を受けられていない。おそらく歴史的根拠が不充分だという理由かもしれない。既存の歴史家はそのように見るかもしれない。今までの歴史学は文字で残された記録や遺物・遺跡などだけを歴史的な根拠と認めてきたからだ。当然、この様な根拠は消されただろう。

    伽耶滅亡から1600年以上の歳月が流れた。これまで韓国が日本の植民地になった時期もあった。植民支配を正当化するには自分たちが韓半島人の子孫であることを認めては困るだろう。特に伽耶が直接的な先祖であったという事実を日本人の知識人の中には以前から察していた人もいただろう。それなら日本が韓半島を強占して抑圧で統治することは人倫に照らして、非人間的行為に該当するといえるだろう。
    >>2-5のあたりに続く

    イ・ジンア環境・生命著述家

    ソース:時事ジャーナル(韓国語) 日本人遺伝子地図に含まれた歴史[イ・ジンアの地球上から見る人類史]「伽耶人たちが海を渡って弥生文明を作った」
    http://www.sisapress.com/journal/article/167272

    引用元: ・【古代史】 日本人の遺伝子に刻まれた歴史~卑弥呼は伽耶の王女、伽耶人が海を渡って弥生文明を作った[04/06] [無断転載禁止]©2ch.net

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