まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:世界史

    1: まぜるな!キケン!! 2022/11/12(土) 13:25:35.43 ID:Er862tsW
    韓国メディアや韓国識者の皆さんは、「日本に○○○された」「アメリカ合衆国に○○○された」と自身が被害者であると表明することが多々あります。

    「○○○に後頭部を殴られた」もそのような表現の一つで、友好国や同盟国はすべからく「韓国の望むとおりに動かなければならない」という前提で考えており、それが少しでも違うとすぐに「血盟だったのに」「同盟国だったはず」などと怒るのです。

    全く度し難い話ですが、韓国が認める友邦関係というのは、「恋人のように」「親子のように」切っても来れない関係、「無条件に自分を肯定してくれる存在」といったものなので、とても「よその国がなれるもの」ではありません。

    甘ったれといえば全くそのとおりで、つまり韓国とは(口にはしますが)「Win-Winの関係」など築くのは不可能です。

    なぜなら、韓国が求めているものは「どんなときでも韓国が無条件に利益を得る関係」だからです。

    「そんな要求を許容する国はない」のですが、韓国からすると「なぜ韓国の希望を容れないのだ」になります。

    容れない理由は「あんたのお母さんじゃないから」ですが、韓国にはこれが理解できず、そのため、「○○○された」という被害者の言い分を口にするのです。

    関川夏央先生は以下のように述べていらっしゃいます。


    (前略)
    関川 韓国の人たちと近代史の話をしていて違和感があるのは、「~された」という受け身のかたちだけで歴史を語ることです。

    「朝鮮は日本に侵略された」「朝鮮半島は南北に分断された」と、必ず自分が被害者となる。

    これは、「自己中心性」の別のかたちのあらわれでしょうが、しかし、それではいつまで経っても、歴史を自分のものとして責任を持つことが出来ないと思うのです。

    これも無理からぬところがあって、韓国は世界史において積極的な役割を一度も果たし得なかった。

    ちゃんとした戦争も、ちゃんとした革命もやらなかった。

    いわば「主体性」を持てなかった。

    そういうことが深い傷となって、いまなお苛立ち、悲しみ、悔しさとして続いているので、それが反日として結晶するんですね。

    悲劇の原因を、すべて他者に求めようとするのです。
    (後略)

    ⇒参照・引用元:『韓国・北朝鮮の嘘を見破る』編:鄭大均、古田博司,2006年(平成18年)08月20日 第1刷発行,「韓国・北朝鮮『自己絶対主義正義』の心理構造」著:櫻井よしこ(ジャーナリスト)、関川夏央(作家)、古田博司(筑波大学教授),pp24-25


    日韓首脳会談がまもなく開催されるという話が出ていますが(『Reuters』は2022年11月13日と報道)、岸田文雄首相が安易な妥協をしないように祈念せずにはいられません。

    日本は日本で「話し合えば分かり合えるはず」という幼稚な考えを捨てることです。

    (吉田ハンチング@dcp)
    https://money1.jp/archives/93451

    引用元: ・「韓国は必ず自分が被害者になる」悲劇の原因をすべて他者に求めようとする 世界史に積極的な役割を一度も果たし得なかった国 [11/12] [新種のホケモン★]

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    1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2017/01/29(日) 14:22:07.88 ID:CAP_USER
    no title

    ▲李泰鎮教授/写真=李泰景(イ・テギョン)記者

     「四半世紀にわたって取り組んできた、日本による韓国併合の違法性に関する研究を仕上げることになって、すっきりした。朝鮮が無力だったので植民地になったという認識が一般的だった中、日本による韓国併合は世界史的にあまり例のない強制と欺瞞(ぎまん)によるものだったということを明らかにして、国際学界の共感を得たことにやりがいを感じる」

     20世紀初めの日本による朝鮮侵略の過程に見られる歴史的・国際法的問題点を実証的に研究し、これを日本・欧米の学界に伝えることに尽力してきた李泰鎮(イ・テジン)ソウル大学国史学科名誉教授が、これまでの研究成果をまとめた著書『日本の韓国併合強制研究:条約強制と抵抗の歴史』(知識産業社)を出版した。

     朝鮮王朝時代を主に研究してきた李泰鎮教授が大韓帝国に関心を持つようになったのは、1992年にソウル大学奎章閣に所蔵されていた大韓帝国の詔勅・勅令・法律などおよそ60点の中に、純宗皇帝の署名が偽造されたものを見つけてからだった。統監府の日本人官僚が書き込んだものだった。「『保護条約』(第2次日韓協約。乙巳〈いっし〉条約)など韓国の主権を奪った諸条約にも問題があるのではないか」と考えた李教授は、条約の原本を確認した。その結果、皇帝が条約を承認した批准書がなく、条約の名称も書かれていなかった。条約の韓国語本すら、日本側が作ったものであることが判明した。

     そのころ、ソウル大学のキム・ギソク教授が米国カリフォルニア大学で、高宗が米国人宣教師ホーマー・ホルバートに与えた信任状と修好7カ国の元首に送った親書を確認した。高宗は親書に「保護条約は日本が強制したものであって、自分は承認しなかった」と記していた。李教授は、自著の論文やほかの研究者の論文を集めて『日本の大韓帝国強占:〈保護条約〉から〈併合条約〉まで』(図書出版カチ、1995年)を出版した。

     その後、研究は二手に分かれて進んだ。一つは「日韓議定書」(1904年2月)、「第1次日韓協約」(04年8月)、「第2次日韓協約」(保護条約。05年11月)、「日韓新協約」(第3次日韓協約・丁未七条約。07年7月)、「併合条約」(10年8月)など、日本が朝鮮の国権を段階的に奪っていった諸条約の違法性を明らかにすることだった。李教授は「条約締結の過程は、全権大臣の任命や皇帝による批准の手続きを飛び越え、実務者間の『覚書』(メモランダム)を政府間の『協約』(アグリーメント)にすり替えるなど、欺瞞でつづり合わせてあった」と語った。

     もう一つは、条約締結が日本軍の軍事力に依存していた点を明らかにすることだった。95年の村山談話以降、日本側は関連資料の公開を進め、2001年にアジア歴史資料センターを設置したことが大いに役立った。特に、陸軍省が日露戦争当時の日本軍の資料をまとめて編さんした『陸軍政史』を入手したことが決定的だった。この資料集には韓国駐在軍司令官・長谷川好道の報告書が載っており、同報告書で長谷川は、保護条約締結当時、日本軍の騎兵連隊や砲兵大隊までも漢陽城内に投入して完全掌握し、朝鮮強占の「第一の功労者」は自分だと主張していた。また、これまでは併合の際に日本の官僚が中心的役割を果たしたといわれていたが、実際には陸軍省が主導していたことが明らかになった。

     朝鮮併合に消極的だった伊藤博文が、1909年6月に韓国統監を辞めて併合賛成に転じた過程も明らかになった。高宗が強制的に退位させられ、軍隊が解散し、義兵抗争が激化したことを受け、伊藤は1909年初めに純宗と共に韓国各地を回って民心をなだめる計画を立てた。しかし大邱-釜山-馬山を鉄道で回る南巡、平壌-義州-開城を訪れる西巡の際、行く先々で数万もの人々が集まると、純宗は人々に対して愛国と新文物の受容を訴えた。李教授は「君民が一つになった抵抗心を確認した伊藤は、侵略戦争の主導権を軍部に渡すことを決心した」と語った。
    >>2-5あたりに続く

    李先敏(イ・ソンミン)記者

    ソース:朝鮮日報/朝鮮日報日本語版<「世界史に類を見ない強制と欺瞞、韓国併合は国際法上無効」>
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/27/2017012700578.html

    前スレ:http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1485656596/
    ★1の立った時間:2017/01/29(日) 11:23:16.59

    引用元: ・【日韓】 「世界史に類を見ない強制と欺瞞、韓国併合は国際法上無効」~韓国併合の違法性、李泰鎮教授が研究総仕上げ★2[01/29] [無断転載禁止]©2ch.net

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