まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:上海義挙

    1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2017/04/26(水) 01:00:54.63 ID:CAP_USER
    来る4月29日は1930年代、低迷した独立運動の転換点を用意した尹奉吉(ユン・ボンギル)義士の上海義挙85周年になる日だ。35年間の対日抗争期に難しくない時期はなかったが、上海義挙があった1932年は大韓民国臨時政府の弱体化と民族抹殺政策で独立運動が対内外的難関に直面した時期であった。

    幸い上海義挙を契機に私たち民族は13年ぶりに光復を成し遂げ、今日に至っているが、ユン義士をはじめとする烈士らの精神を継承し偉業を続けることは現在進行形の課題だ。特に最近の対外脅威と国政空白による内憂外患を考えれば、5月9日に予定された選挙の重要性は論をまたない。

    これ以下は、尹奉吉義士の義挙で対日抗争活性化の契機が用意されたように、今回の選挙が大韓民国にとって禍を転じて福となすことを願う漠然とではあるが切実な期待を扱おうと思う。
    (中略:尹奉吉(ユン・ボンギル)の義挙紹介)

    上海義挙は民族独立に対する希望を再び抱かせ、懐疑論に陥った民族指導者らを覚醒させたし、独立運動に対する中国と列強の支援を引き出し、大韓民国臨時政府の対日抗争統轄機構としての地位を回復させた。究極的にこのような成果は1945年光復につながった。

    それなら第19代大統領選挙を控えた私たちの状況はどうか?もちろん上海義挙があった1932年と比べられないが、憲政史上初の弾劾事態で半年近く国政空白が続いている。このため求心点を失った大韓民国は大統領選挙政局による分裂と葛藤はもちろん、サード配置と北核など安保問題にも適切に対処できずにいる。

    かえって出処も分からない韓半島4月危機説と対北朝鮮先制打撃論などが広がりながら混乱と不安が重なる状況だ。もちろん義挙と選挙は異なる概念で、現在と1932年の状況もまた同じでないが、義挙と選挙は「正しい大義[正義]」を起こすための行動という点、当代に直面した困難の打開策である点で、1932年の義挙と現在の選挙は互いに通じる部分がある。

    特にユン義士が義挙を通し見せてくれた祖国愛・先公後私・自己犠牲・責任感などは今日の大統領選挙でも美徳になる崇高な精神的価値だ。このようなユン義士の精神を見習って、今回の選挙を有権者の票より国家愛を求め、次期大統領選挙よりは国民統合の大義を指向し、特定地域・政党・理念でなく大韓民国全体の安全と繁栄を代弁する方向に率いることができれば、第19代大統領選挙は私たちにとって禍を転じて福となすことができる。

    以上の議論をまとめれば尹奉吉義士の上海義挙は対日抗争期終息の契機になったし、この過程から始まった崇高な精神的価値は第19代大統領選挙を控えて様々な困難を経験する私たちに重要な含意を与える。すなわち国のための犠牲と祖国愛および天命意識などの大義はその継承如何により第19代大統領選挙を上海義挙のような歴史の重大な転換点として記録されるようにすることもできる。

    もちろんユン義士が義挙で明らかにした精神的価値は時間と空間を超越するモデルとしての地位を持つ。それでも今回の選挙をその継承と実現の場として特別に言及したのは、今日、私たちが体験している困難が「ロウソクのあかり-太極旗デモ」とともに大韓民国の根幹を揺さぶる水準であるためだ。

    ユン義士の遺品中には義挙3日前の「祖国の独立と自由を回復するために」義挙を誓うという宣言文がある。この宣言に含まれたユン義士の高邁な精神と透徹した責任意識が85年が過ぎた今日、私たちの前に「また現れること[再臨]」を漠然とではあるが切実に希望してみる。

    ソウル地方報勲庁広報担当オ・ジェホ
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    ソース:TVソウル(韓国語) [寄稿]第19代大統領選挙、上海義挙の再臨になることを
    http://www.tvseoul.kr/news/article.html?no=9800

    引用元: ・【韓国】 第19代大統領選挙、尹奉吉義士の上海義挙の再臨になることを望む~選挙と義挙は通じるものがある[04/25] [無断転載禁止]©2ch.net

    【【危ない奴】 TVソウル(韓国語)「第19代大統領選挙、上海義挙(日本人殺害テロ)の再臨になることを望む」】の続きを読む

    1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2016/04/26(火) 18:05:23.77 ID:CAP_USER.net
    来る29日は尹奉吉(ユン・ボンギル)義士義挙84周年になる日だ。よく知られたようにユン義士は臨時政府閣僚会議の承認を受けて1932年4月29日、中国の上海虹口公園(現在の魯迅公園)で開かれた「天長節(日王誕生日)」および戦勝(日本の上海占領)記念式場」を奇襲攻撃して日帝侵略軍の首魁をせん滅した。

    このようにユン義士の上海義挙は国家の承認の下になされたにもかかわらず、義挙の性格をよく知らない一部の人々はテロ云々して抗日義挙をさげすむ。真に残念なことこの上ない。辞書を見れば「テロ」は政治的敵対者または、その団体や機関に破壊、殴打、放火などの暴力を行使し相手を脅したりまたは恐怖に陥れる非合法的な行為と定義している。

    一方、戦争は国家と国家の間の武力による闘争と定義され、特攻作戦は敵地を奇襲攻撃する行為または作戦で、特攻隊は敵地を奇襲攻撃するために作られた部隊と記述されている。簡単に言えば、行為の主体が国家間の武力闘争ならば戦争で個人が敵対者や敵対機関に加えたその様な行為はテロとなる。

    上海義挙は大韓民国臨時政府が創設した「韓人愛国団」という特攻隊の作戦であり、国家の作戦計画により特攻隊ユン・ボンギル隊員が堅固な警備網を突き抜けて日本軍首脳部を奇襲攻撃したものだ。このように我が国の軍人が敵軍を攻撃した戦闘行為だ。

    日帝もユン義士の義挙はテロではなく交戦中の任務を遂行した戦闘行為と判断した。日本陸軍省人事局が1932年9月外務省に提出した「上海ニ於ケル天長節式中ノ爆弾兇変事件」というタイトルの報告書を見れば、ユン義士義挙で死亡した「上海派遣日本軍司令官、白川隊長について公務遂行中の死亡ではなく戦死で処理して欲しいという内容と、本凶変事件は上海戦闘過程で我が軍の首脳殺害を目的とした敵国特攻隊員の攻撃で発生した事件」という内容が含まれている。

    また、報告書には「天長節および戦勝記念式場」を「上海戦場」と表記した。この報告書を根拠にて日帝は「白川隊長が戦場の記念式場に移って日本軍移動司令部で戦闘を指揮している間、死亡したと判断して彼を戦死処理し、ユン義士も個人的次元のテロリストではなく非正規戦を遂行した相手交戦国の戦闘員」と判定した。

    これに伴い、日帝はユン義士を戦地で捕らえた敵軍の戦争捕虜と見なして非公開軍事裁判に回付し、単審で刑を確定した後、軍刑務所に拘禁し軍部隊領内で銃殺刑を執行した。銃殺刑を執行した法的義挙は「軍人は銃殺刑、民間人は絞首刑」に処するという日帝の死刑執行方法に従ったものだ。

    繰り返し強調するが日本陸軍省の報告書が記述しているように日帝自らユン義士の義挙を交戦行為と明確に判定した。このため、ユン義士の義挙はテロではなく国家の承認の下に遂行された特攻作戦であったという事実を裏付けることが可能になった。

    日帝も戦闘行為と評価した尹奉吉義士の義挙は蒋介石総統の言葉のように中国30万大軍がやり遂げられなかった大戦果をおさめた特攻作戦であり、韓民族独立運動史に記録されるべきであって、輝く特攻作戦義挙をテロとさげすむ詭弁を退けなければならない。

    光復70周年が過ぎた今も私たち自らユン義士の義挙をテロとするならば臨時政府の法の正統を受け継いだ私たちはテロ集団の後えいになることを肝に銘じなければならない。加えて民族が分かれて暮らす姿を尹奉吉義士が見れば嘆くだろう。統一の路、未完の光復を完成した方が夢見た完全自主独立国家を作らなければならない。

    ユン・ジュ尹奉吉研究所理事長

    ソース:ハンギョレ新聞(韓国語) [なぜならば]ユン・ボンギル義挙はテロでない戦闘行為だ/ユンジュ
    http://www.hani.co.kr/arti/opinion/because/741176.html

    引用元: ・【韓国】 尹奉吉(ユン・ボンギル)義士の上海義挙はテロではなく戦闘行為~なぜなら国家が承認した特攻隊員だったから[04/25]

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    1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2015/12/01(火) 13:12:29.17 ID:CAP_USER.net
    no title

    ▲イ・ソンソプ梅軒(メホン)尹奉吉(ユン・ボンギル)義士記念事業会事務局長

    12月1日は72年前の1943年、韓国の独立が初めて国際的な保障を受けたカイロ宣言公布
    日だ。'韓国人民の奴隷状態に留意し適切な時期に自由と独立を決議する'と明示した特別
    条項は中国の蒋介石が聨合国代表を説得して成立し、背景には金九(キム・グ)先生をは
    じめとする臨時政府の努力があった。

    しかし最も大きな要因は尹奉吉義士の上海義挙であった。

    キム・ハクチュンの著書'梅軒(メホン)尹奉吉(ユン・ボンギル)評伝'によれば臨時政
    府は庁舎の家賃も滞るのが常で雇用員の月給まで支給できず、中国人から訴訟されるほど
    窮乏していた。万宝山事件などで対韓感情も非常に悪かった。キム・グ先生が自ら臨政を
    「乞食の巣窟」と比喩するほどで、当時、臨時政府メンバーらはごみ箱をあさってハクサ
    イの根を探し飢えた腹を満たすこともあった。

    1931年9月18日、満州事変で中国内の反日感情が爆発した。翌年、日本が中国最精鋭部隊
    19路軍を倒して上海を占領し中国人は日本に対する怒りと怨恨に満ちていた。1932年4
    月29日、上海虹口公園で日本が日王誕生日行事と祝勝式をする壇上に尹奉吉義士が爆弾を
    投げて日本の上海司令官、白川隊長など侵略の首脳らを処断して世界をびっくりさせた。

    満州と上海で日本に続けて敗退し、国家的屈辱にあった中国人にユン義士の上海義挙はそ
    れこそ痛快なことこの上なかった。蒋介石はユン義士が中国100万大軍と4億中国人がで
    きないことをやり遂げたと絶賛し有り難く思った。独立活動家、鄭晦奄(チョン・フィア
    ム)は'革命家らの抗日回想'でユン義士の義挙で臨時政府が生き返り、中国政府から支援
    を受け、また、解放と同時に帰国する時も臨時政府を前面に出して堂々と出ることになっ
    たのも全部'ユン義士の血一つの結果'と回顧した。

    蒋介石は1933年5月に白凡金九など臨時政府首脳を招待して洛陽軍官学校に韓国人特別班
    を設置するなど臨時政府が光復軍を創設するのも助けた。1943年4月、米国のルーズベル
    トと英国のイーデン外相が戦後韓国を国際共同で管理することにしたという報せに接した
    臨時政府キム・グ主席と外務部長チョ・ソアンなどは1943年7月26日、蒋介石を訪ねて
    米英の思惑に組みせず、カイロ会談で韓国の独立を主張して欲しいと建議した。蒋介石は
    韓国独立のために米英と力いっぱい戦うと約束した。

    1943年11月22日から26日までエジプト、カイロで蒋介石は約束通り、韓国の独立を強力
    に主張し、ついに宣言文特別条項に「韓国人民の奴隷状態を留意して、適切な時期に韓国
    が自由と独立」を決議して11月26日確定し、テヘランでソ連スターリンの同意を確認し
    た後、その年12月1日カイロ宣言が公布された。

    李承晩(イ・スンマン)博士は屠倭実記序文でユン義士の壮挙があって以後、中国国民党
    政府は勿論、蒋介石主席部署がキム・グ先生を絶対に信頼し陰に陽に大韓民国臨時政府を
    声援したことは全部このためで、その中にも韓国解放の端緒になった'カイロ会談'で蒋介
    石が率先して韓国の自主独立を主に主張し聨合国の同意を得た事実もやはりその遠因はユ
    ン義士の壮挙にあったことを忘れてはならないといった。

    [出処]この記事はプレミアム朝鮮で作成された記事です

    ソース:プレミアム朝鮮(韓国語) 尹奉吉義士と蒋介石、そしてカイロ宣言
    http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2015/12/01/2015120100433.html

    引用元: ・【韓国】 尹奉吉義士と蒋介石、そしてカイロ宣言~韓国独立最大の要因は尹奉吉義士の上海義挙[11/30]

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