まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:ベルリン

    1: 動物園φ ★ 2017/12/04(月) 09:32:00.99 ID:CAP_USER
    12/4(月) 8:24配信
    ハンギョレ新聞

    ベルリンで難民女性を慰労したキル・ウォノクさん
    no title


    キル・ウォノクさんが1日(現地時間)、ドイツ・ベルリンの最大の女性団体である「テレデファム」事務所で難民女性たちとともに記者会見をしてナビ基金を渡している=ベルリン/パク・ジョンシク記者
    欧州連合議会の「慰安婦決議案」 10周年を迎えてベルリン訪問 アフリカ難民などにナビ基金

     「恨多き大同江(テドンガン)よー、変わりはないか牡丹峰(モランボン)よー」

     1日(現地時間)、ドイツ・ベルリン市内のある女性人権団体の事務所に卒寿のおばあさんの切々とした歌が流れた。13歳の時に日本軍慰安婦として連れて行かれ、8・15光復後には分断で故郷(平壌)の地を踏むことができなかったキル・ウォノクさん(90)の恨(ハン)のこもった歌だ。

     ドイツの平和・人権団体であるドイツ・コリア協議会の招待でベルリンに到着したキルさんはこの日、記者会見に出席した人々の要請で、自分の人生を代弁するような歌「恨多き大同江」を物悲しくうたった。幾人かの参加者は涙を流した。キルさんは欧州連合議会の日本軍慰安婦問題解決を求める決議文採択10周年を迎えベルリンを訪れた。欧州連合議会は2007年12月12日、日本政府に慰安婦犯罪の公式認定と謝罪および歴史的・法的責任を問うことを求める決議文を採択している。

     キルさんはこの20年余りの間、日本をはじめオーストラリア、オランダ、英国、ベルギー、ドイツ、カナダを巡りながら日本の蛮行を告発し、被害賠償を要求する活動を行ってきた。特に紛争地域などで、性暴力に苦しむ女性たちの人権回復にも先頭に立った。キルさんは彼女たちを支援するために2012年3月、同じ被害者であるキム・ボクトンさんなどとともに「ナビ(蝶)基金」を作った。慰安婦被害賠償金を受け取る場合は全額寄付することも約束した。最近は「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶財団」の女性人権賞の賞金5000万ウォン(約518万円)も財団に寄付した。この日、キルさんはベルリンに居住するアフリカ難民女性たちの支援に1000ユーロ(約13万円)を寄付した。寄付金を渡されたコンゴとカメルーン出身の難民女性活動家らは涙ぐみながら感謝の気持ちを伝えた。また、この日キルさんを訪ねてきたシリア難民出身のアビアー・マバスは、シリアの女性抑圧の実態も告発した。彼女は「シリアの女性たちは性暴力と強制売春に苦しんでいる。黒い靴下を履かなかったという理由で、爪にマニキュアを塗ったという理由で、男性がおらず一人で外出したという理由で、水拷問などを受けている」と暴露した。

     キルさんは「(世界各地に)性暴力被害に苦しみながら生きる女性が多いという。これから私たちのような犠牲者が生まれないよう皆さんが努力して、良い結果を結ぶことを願う」と話した。さらに、「(慰安婦問題の)真実がすぐには明らかにされなくても、いつかは明らかになるだろうと信じている。私が(真相究明を)成し遂げられなくても、(水曜集会に参加する)若い人たちが成し遂げてくれるだろう」と話した。

     「今回が生涯最後の海外訪問になるだろう」というキルさんは、飛行機を乗り換えたフィンランドのヘルシンキで体調が悪くなり、韓国に帰ることになるかもしれなかった。キルさんは8日までベルリンに滞在し、「軍事衝突の中の女性暴力」をテーマにしたカンファレンスとドイツのフリードリヒ・エバート財団が韓国のろうそく集会に授与する人権賞授賞式にも出席する予定だ。

    ベルリン/キム・ドンフン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171204-00029148-hankyoreh-kr

    引用元: ・【国際】慰安婦おばあさん、ベルリンで難民を慰労「これから私たちのような犠牲者が生まれないよう皆さんが努力して」

    【【日韓友好なんて有り得ないな】慰安婦おばあさん、ベルリンで難民を慰労「これから私たちのような犠牲者が生まれないよう皆さんが努力して」 】の続きを読む

    1: ねこ名無し ★@無断転載は禁止 2016/11/14(月) 09:57:18.80 ID:CAP_USER
     「民衆総決起ろうそくデモ」が行われた12日、欧米・アジアなど10カ国の主な都市で暮らす在外韓国人らもデモを実施、朴槿恵(パク・クネ)大統領の退陣を要求した。

     米国では、11日(現地時間)午後、ワシントンD.C.やニューヨーク、ロサンゼルスなどでろうそくデモなどが行われた。首都ワシントンD.C.のリンカーン記念館前広場に集まった韓国人や韓国系の人々は「朴大統領は国政からすぐに退け」とシュプレヒコールを叫んだ。

     ニューヨークのコリアタウンでも韓国人・韓国系約200人が集まり、「大統領退陣」と書かれた黄色のプラカードを演壇前に掲げ、ろうそくを手にデモを行った。

     国政介入疑惑の中心にある崔順実(チェ・スンシル)容疑者(60)が、第2の拠点にしようとしていたドイツの首都ベルリンのブランデンブルク門前広場には約300人の在独韓国人や留学生たちが集まった。これらの人々は朴大統領と崔容疑者の顔が描かれた紙を持ち、「朴大統領退陣」と繰り返し叫んだ。

     フランスの首都パリや日本の首都・東京などでも数百人の韓国人・韓国系が集まり、ろうそくを手に朴大統領の退陣を求めた。

    イ・ドンフィ記者

    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/11/14/2016111400863.html

    引用元: ・【国際】ワシントン・NY・ロサンゼルス・パリ・ベルリン・東京でも韓国人・韓国系が集まり朴大統領退陣要求デモ[11/14] [無断転載禁止]©2ch.net

    【【ほんと迷惑な連中】他所の国で韓国人・韓国系が集まり朴大統領退陣要求デモ。ワシントン・NY・ロサンゼルス・パリ・ベルリン・東京でも】の続きを読む

    1: ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/ 2015/07/14(火) 20:45:51.75 ID:???.net
     植民地時代の1936年、ドイツ・ベルリンのある豆腐工場。東洋人の男性およそ10人が、丼や真ちゅうの器に
    キムチと豆腐を盛って「祝勝会」を開いた。祝勝会ではあったが、雰囲気は厳粛だった。壁には太極旗(韓国の国旗)が
    掲げられていた。

     ベルリン五輪で金メダルと銅メダルを取った孫基禎(ソン・ギジョン)・南昇竜(ナム・スンリョン)選手の一行だった。
    二人は、五輪で優勝した後、日本選手団が開いた祝賀パーティーには出席せず、朝鮮人同士でひそかに祝勝会を開いた。
    祝勝会を準備した人物は、ベルリンで豆腐工場を営み、独立運動を後押ししていた安奉根(アン・ボングン)だった。
    安奉根は、安重根(アン・ジュングン)のいとこに当たり、ベルリンに留学後、ドイツ人と結婚した。孫基禎・南昇竜選手は、
    その時初めて太極旗を目にし、当時の感動を自叙伝にこう記した。

     「全身に熱い電流が流れたかのように、私は体をわなわなと震わせた。失われた祖国、死した祖国の顔に接しているかのような
    気分だった。弾圧と監視の目を避けて太極旗が生きているように、朝鮮民族も生きているという確信が心をときめかせた」

     孫基禎選手の孫に当たるイ・ジュンスンさん(孫基禎記念財団事務総長)は13日「最近、祖父が日本に秘密で
    朝鮮人同士祝勝会を開いた、その豆腐工場の住所を突き止めた。7月末に『ユーラシア親善特急』に乗ってベルリンを訪問し、
    直接行ってみる」と語った。現在その建物は、旧西ベルリンの中心街に近いカントシュトラッセにある6階建ての住・商複合マンションで、
    イラン亡命者協会のオフィスがあるという。

     イ事務総長は14日、韓国外交部(省に相当)・韓国鉄道公社(KORAIL)が手掛ける「ユーラシア親善特急」に乗って
    ベルリンに向かう。7月14日から8月2日まで、シベリア横断鉄道に乗ってロシアのウラジオストクからドイツのベルリンに向かうという
    スケジュールだ。孫基禎選手も、ベルリン五輪に出場するため、この列車に乗った。当時は、韓半島(朝鮮半島)と欧州が
    国際鉄道で結ばれており、京城(現在のソウル)からベルリンまで直接行くことができた。

     1936年6月4日に京城を出発した列車は、孫基禎選手の故郷・新義州と満州、シベリア、モスクワ、ワルシャワを経て、
    17日にベルリンに到着した。実に13日を要したわけだ。

     孫基禎選手が乗った列車は、旅客列車ではなく、軍用装備を輸送する貨物列車だった。孫基禎選手はこの列車で、
    朝鮮人が買ってくれたニンニクのチャンアチ(漬け物)やチャンジョリム(牛肉のしょうゆ煮)を食べて耐えた。

     孫基禎選手は、雑誌「三千里」に寄稿した記事で、この旅について「行っても行っても広大なシベリアは、人が住んでいない
    辺境のような広漠とした平野があるだけで、朝鮮の京釜線や京義線のような山は、見ようとしても見ることはできなかった」
    「鉄道は朝鮮のものより随分広い線路で、規模も大きかったが、時間をしっかり守ってくれないのにはあきれた。おかげで、
    列車が30分停車するたびに、プラットホームに降りて走る練習ができた」と書いた。このため、ソ連では日本のスパイと誤認され、
    取り調べを受けたこともあるという。

     しかし、ベルリン駅に到着した孫基禎選手は、歓待を受けることはなかった。出迎えにきた日本大使館の職員は
    「なぜマラソンに朝鮮人が2人も入っているのか」と不満をぶちまけたという。孫基禎選手は「半月近く列車に揺られて
    到着した先で、こんなとんでもないあいさつをされて、どっと涙が出てきた」と記した。

     ベルリンで孫基禎選手は、試合当日のほか日章旗が描かれたユニホームを着ることはなかった、とイ事務総長は語った。
    「日章旗抹消事件はとにかくよく知られているのに、現地ベルリンでの祖父の行動は埋もれており、残念」

     イ事務総長は今回、ドイツのオリンピック委員会に手紙を送り、ベルリンのメーンスタジアムにある孫基禎選手の銘に
    韓国国籍を併記してほしいと要請する計画だ。

    崔鍾錫(チェ・ジョンソク)記者

    朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2015/07/14 10:58
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/07/14/2015071401279.html
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/07/14/2015071401279_2.html

    引用元: ・【朝鮮日報】1936ベルリン五輪金の孫基禎、朝鮮人同士で祝勝会[7/14]

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