(写真)
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1991年5月、韓国初の国民のためティコ(写真)が奨忠(チャンチュン)体育館に姿を現わした。796ccの
ガソリンエンジンの最高出力は41馬力、エアコンはオプションの車だった。価格は319万ウォンからで、
最高級モデルが359万ウォンだった。


燃費は24km/Lで、大宇(テウ)は、「30Lの燃料タンクを満タンにすれば、ソウル~釜山(プサン)の往復
が可能です」と誇示した。ティコの燃費は驚異的だったが、時速120km以上の走行は出来なかった。
高速走行に入るとエンジンと車体が壊れるかのように振動し、風の音が信じられないほど吹き付けた。
それでも諸元表のティコの最高速度は143km/hだった。

ティコの発売は庶民にはまたとない朗報だった。高額のために手が出せなかった『マイカー』を、初めて
実現する事が出来るようになったからである。ソウルオリンピック(1988年)以降、急速に進行したモータ
リゼーション、すなわち自動車の大衆化がティコで一層弾みをつける事となった。

当時ティコは、「国民のため」に登場した。国民の誰もが大した負担をせずに所有する事が出来る車と
いう意味だった。このような概念は、ドイツのアドルフ・ヒトラーが元祖だ。ヒトラーがフェルディナント・
ポルシェ博士に、「大人2人と子ども2人(一家族)を乗せて時速100㎞で走り、価格が安くてメンテナンス
が容易な車を作って欲しい」と要請して、作られた車がのちのフォルクスワーゲン『ビートル』である・・・。

韓国政府が掲げた国民のための条件はもう少し具体的だった。大人4人の搭乗で空車重量700kg以内、
全長・全幅・全高が各3.5・1.5・1.4m以内、価格が200万ウォン台などだった。

エンジンの排気量は激しい議論を経て800cc未満に決まった。ティコはこのような基準を概ね満足させ
たが、価格は合わせる事が出来なかった。大宇は便宜装備を省くなど価格を下げる為にあらゆる手を
尽くしたが、結局は200万ウォン台ではなく300万ウォン台でティコを発売した。

国民車となったティコは1992年、ユーラシア大陸横断で話題を集めた。声優のペ・ハンソンを含む
遠征隊3人はティコとダマスに乗って10月1日、イギリス・ロンドンのグリニッジ天文台前の広場を出発
してシベリアを横断、11月16日に中国・北京(ぺきん)に到着した。19,600kmを50日で完走したのである。

このようなティコのルーツは、日本の『ススキ・アルト(3代目)』だ。スズキが法令に従わない燃費測定
で最近物議を醸してはいるが、アルトはこれまで命脈を受け継がれて来た日本の軽自動車市場の
強者と認められるモデルである。アルトに日本以外の海外市場用に開発した796㏄エンジンを載せて、
韓国内用に作った車がティコだった。

大宇とスズキの技術提携は1988年に開始、96年まで続いた。スズキは当初ティコの年産規模を
24万台に期待したが、実際には8万台程度に止まると韓国事業に魅力を失った。大宇もこれまでの
ノーハウを生かして後続車種を開発中なので、自然な決別を喜ぶ立場だった。
(オートダイアリー編集長)

ソース:NAVER/韓国日報(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=shm&sid1=103&oid=469&aid=0000144300

引用元: ・【韓国車】自動車大衆化の区切り、国民車『大宇・ティコ』~オ・ジョンフンの自動車現代史[05/23] [無断転載禁止]©2ch.net

【アドルフ・ヒトラーを元祖に持つ韓国国民車ティコ。ただし、作ったのは日本のスズキ。】の続きを読む