まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    タグ:コンプレックス

    1: まぜるな!キケン!! 2019/12/15(日) 14:45:43.02 ID:CAP_USER
    韓国代表は15日にEAFF・E-1サッカー選手権2019第2節で中国代表と対戦する。連覇に向けて負けられない一戦を前に、韓国メディアは日本戦でラフプレーを連発いた中国を「少林サッカー」と揶揄。批判的な論調を展開している。

    韓国は11日の初戦で香港相手に苦戦を強いられながらも2-0で勝利。白星スタートを切った。パウロ・ベント監督は試合後の会見で「前半良くなかった点は、今後考えなければならない部分」と課題を口にしていた。そのうえで、中国戦に向けては「日本との試合を見て分析を開始している。まだ確認しなければならない部分が多い」としながらも、「(香港戦)とは異なる試合が繰り広げられるだろう。最善を尽くして、私たちの哲学、プレースタイルができように準備する」と語っていた。

    今大会はIMD(インターナショナル・マッチデー)ではないため、選手招集の拘束力がない。それは日本も同様で森保ジャパンは国内組で今大会に臨んでいる。一方で韓国もソン・フンミン(トッテナム)など欧州の舞台で活躍する選手が不在であることから、ベント監督は今大会で「プランB」を見つけることに重点を置いているという。

    https://www.goal.com/jp/amp/ニュース/韓国紙が中国を少林サッカーと揶揄彼らは恐韓症韓国にコンプレックスがある/911z82i5gpj810oufh9bv06cr

    引用元: ・【国際】韓国紙が中国を「少林サッカー」と揶揄。「彼らは恐韓症。韓国にコンプレックスがある」[12/15]

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    1: ねこ名無し ★@無断転載は禁止 2017/02/21(火) 10:21:31.21 ID:CAP_USER
     〈1988年ソウル五輪の成功は、韓国の名を一躍、世界に押し上げた。名古屋との一騎打ちとなった招致合戦に尽力した〉

     ソウルで五輪を開くことを思い立ったのは朴正煕(パク・チョンヒ)大統領でした。僕は青瓦台の秘書官をしていましたから、朴大統領の「立派な祖国を創りたい」という強い思いも聞いていましたね。

     朴大統領から崔圭夏(チェ・ギュハ)・国務総理に指示が出てスポーツ政策協議会ができ、10人ほどの委員が参加しました。当時、僕は大韓テコンドー協会会長で、世界テコンドー連盟を創り会長をしていました。大韓体育会副会長でもあったので一員になりました。

     メンバーには悲観的なことをいう人もいました。韓国はまだ発展途上で、ソウルといっても世界に名前も知られていない。経済が発展している名古屋にはかなわない、まして名古屋はIOC(国際オリンピック委員会)副会長の清川正二さんの故郷。立候補は時期尚早だという人もいましたね。

     でも、五輪に成功すれば韓国や、韓国の人たちが勇気づけられると確信していました。

     〈だが、招致運動を揺るがす事態が起きた。1979年10月26日、大韓民国中央情報部(KCIA)部長、金載圭(キム・ジェギュ)による朴大統領暗殺である〉

     僕は当時、世界テコンドー選手権のため、西ドイツのシュツットガルトにいました。帰国すると大変な混乱で、招致もなくなるかもしれないと思いましたよ。

     後任に全斗煥(チョン・ドファン)大統領が就任して混乱が収まると、活動が再開されましたが、次の大統領になる盧泰愚(ノ・テウ)政務長官が尽力されました。ただ、1980年12月にIOCに立候補の意思表示をした後も、関係者はどうしていいかわからない状況でした。

     〈そんな状況から1981年9月30日、西ドイツのバーデンバーデンで開かれたIOC総会での逆転劇につながっていく。そこに何があったのか〉

     簡単にいえば、「韓国」対「名古屋」だったんです。われわれは最後のつめに政府官僚や外交官、スポーツ選手はもちろん、財界人が多数、バーデンバーデンに乗り込みました。

     現代(ヒョンデ)グループの鄭周永(チョン・ジュヨン)会長、大韓航空の趙重勲(チョ・ジュンフン)社長、大宇グループの金宇中(キム・ウジュン)会長、東亜グループの崔元碩(チェ・ウォンソク)会長らが現地で活動しました。後にIOC委員に就任する三星(サムスン)グループの李健煕(イ・ゴニ)副会長もバックアップしてくれて、いま、問題視される韓国の財閥を挙げた支援でした。

     名古屋は県議会議長とか商工会議所会頭などがコミッションの中心で、正直いって国際的ではないなと思いましたよ。英語もあまりできなかったし…。

     それでも名古屋の方が知名度が高いと、最後までロビー活動を展開しました。ソウルには北朝鮮という不安材料がありました。常にテロリズムの緊張があり、実際、バーデンバーデンに入る前も北朝鮮の分子によるデモやテロの情報があったんです。北にシンパシーを持つ東欧の国々は反ソウルでした。

     プレゼンテーション・ルームを設け、数多くの写真を飾ったほか、韓国やソウルに関した本を配りました。5人の大韓航空のキャビンアテンダントと3人のミス・コリアが説明にあたり、酒や人参(にんじん)紅茶を振る舞いました。名古屋も部屋を用意しましたが、われわれよりも貧相で、訪れるIOC委員や国際競技団体の関係者ははるかにソウルが上でした。

     この勝利で、初めて日本へのコンプレックスから抜け出していく糸口をつかんだと思いましたね。(聞き手 佐野慎輔)

    http://www.sankei.com/life/news/170221/lif1702210033-n1.html
    http://www.sankei.com/life/news/170221/lif1702210033-n2.html
    http://www.sankei.com/life/news/170221/lif1702210033-n3.html

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    韓国の朴正煕大統領(左、就任前)とコリンズ元米陸軍参謀総長(右)との会談に同席した金雲龍氏 =1961年5月(本人提供)

    引用元: ・【韓国】日本へのコンプレックス消したソウル五輪 元IOC副会長・金雲龍[2/21] [無断転載禁止]©2ch.net

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    1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2015/07/19(日) 22:43:33.82 ID:???.net
    no title

    ▲ユ・ホンジュン明智大客員教授

    ユ・ホンジュン(66)明智(ミョンジ)大客員教授が1993年初めて出した‘私の文化遺産踏査記’は破
    天荒な本だった。7冊出す間、何と340万部が売れた、韓国出版界の代表的なベストセラーだ。彼
    の踏査の歩みは国内にだけに留まらなかった。昨年11月、‘私の文化遺産踏査記-日本編’(全4
    冊)も22万冊売れた。今年1月には日本でも岩波書店が1、2巻を翻訳出版し、3、4巻も出す予定だ。

    最近、明智大研究室で会ったユ客員教授は韓日関係の前向きな発展のために韓国の努力を先
    に促した。「韓日関係がこのように葛藤してはいけません。日本が一方的に間違いと決めつけ
    る前に、私たちはいつ日本を分かろうと努力したか、それを私たち自ら確認することが重要です。」

    彼は「日本について基本的に理解しているという人々は、日本の話が出ると‘みな私たちがしてや
    った’と話すばかりで、知っていると言っても実際の中味は空しかった」とし、「日帝強制占領期間
    の歴史的経験が私たちに度々、精神的勝利に重点を置かせるコンプレックスを与えた」と話した。

    彼が韓日関係を眺める視線は学問的方法論の内在的接近に近い。既存の外部への視点と認識
    でない日本の立場から理解する努力をしなければならないという事だ。日本を眺めるうえで国民
    的感情、民族的感情に基づかないこと自体が多数の韓国人らには不快にならざるをえない。もち
    ろん、だからと言って彼の論理と思考を親日派の認識あるいは植民史観の周辺程度で片付ける
    人はいない。

    また、多数の日本人の嫌韓への流れが広まる中で、古代史に対する歴史的資料をもとに話して
    分析する彼の立場は望ましくないばかりではないだろう。「例えば渡来人(古代韓半島から日本に
    渡っていった人々)3世以上になればもはや韓国の人ではありません。ところがあたかも百済、新
    羅が古代日本を支配し、日本文化はすべて韓国文化のおかげで作られたように考えるのは偏狭
    な認識です。閉鎖的民族主義の立場で一方的に世界と歴史、日本などを眺めずに東アジア次元
    で私たちの文化と歴史を理解しなければなりません。日本もそのように見なければならないという
    ことです。」

    日本について深い理解が必要だという彼の主張に十分に納得が行きながらも、現在の極端に駆
    け上がる韓日関係を考えれば決して簡単に解決できる問題でないことは明らかだ。

    ユ客員教授は「日本には古代史コンプレックスがあり、韓国は近代史コンプレックスを持っている
    ことが相互協力を遮る要因」と言う。彼は「日本はノーベル賞受賞者だけで21人おり、多くの基礎
    固有技術を保有している国だ。事実、日本と経済協力がなければ私たちは死ぬ。残念なのは結
    局わが方」とし、「私の本の日本語版翻訳を望んだことも文化の力を信じて文化から政治と経済分
    野の困難を解かなければなければならないと考えたため」と付け加えた。

    「望ましい韓日関係のためには日本に対する研究者がたくさん出なければならない。日本を理解
    して分析する本もさらにたくさん出なければならない。それで日本が韓国を無視できない力になる
    でしょう。日本右翼政権の立場が普遍的な国民の考えではないから、私たちの努力が先行してこ
    そ日本の良識と良心ある知識人らの活動空間もより一層広くなるでしょう。」

    パク・ロクサム記者

    ソース:ソウル新聞(韓国語) [新しい50年を開こう]「私たちが先に日本立場で理解しようと努力しなければ」
    http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20150720011003

    引用元: ・【日韓】 「私たちが先に日本の立場を理解する努力をすべきだ」~ユ・ホンジュン明智大客員教授[07/19]

    【いや、まったくない【日韓】 「日本には古代史コンプレックスがあり、韓国は近代史コンプレックスがある」~ユ・ホンジュン明智大客員教授[07/19]】の続きを読む

    1: ◆FdDsU0B5ivx5 2015/02/26(木)12:20:34 ID:???
    ▲カン・ギルソン全北(チョンブク)大学BIN融合工学科教授
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    最近、日本の我が国に対する感情表出が極端な嫌韓に走る非正常な姿を見せている。
    特に隣り合う国々の歴史までも無視して認めない姿勢に一貫するその理由は何だろうか?
    韓日関係は古代史から見なければならない。日本の源流は西暦660年に遡る。羅唐聨合軍の侵略で
    滅びた百済王族と豪族らは難民になって金剛(クムガン)を後に復興を夢見て日本に避けて
    身を守る。
    しかし、復興軍さえも663年に白村江の戦闘で完全崩壊した。
    この時の様子を日本書紀は次の様に描写している。「百済という名前も今日で終わりだ。
    先祖様の墓地を再び見ることができるだろうか?」そうだ。倭側で見れば私たちの韓半島は先祖様の国だ。
    日本人たちの胸中には今も先祖様の国で、ここには一種のコンプレックスが席を占めている。

    とにかく百済王族の難民らは先祖様の国とはそれで終わりで、倭の最高階層の天皇一家に合流し、
    倭を支配することになる。それと共にすべての文化経済分野を統一新羅を始まりに高麗・朝鮮から
    習い、師匠の国、先輩の国として仕えることになる。
    この後、15世紀初期にポルトガル商人らに会ってヨーロッパ先進文物に接することになる。
    鳥銃という新武器を手に入れた豊臣秀吉が日本統一後、各派閥間の内部組織の葛藤を払拭させる
    ため、壬辰倭乱すなわち、自分たちの過去の土地、故郷の地を探しに壬辰倭乱を起こしたのだ。
    そして1867年に明治維新が起きて征韓論が再び台頭した。もちろん、この時までは朝鮮は師匠の国、
    資金援助者の国だったのに帝国主義の外国文物を受け入れながら、李朝鮮を征服せずには、
    すなわち韓国を越えなくては日本の気を咲かせることはできない事実を知った。

    一方、明治維新直後は日本はアジア各国にスパイを送って各国情報を収集し、満州原野に
    広開土大王碑があることを知って碑文を操作、韓半島の伽揶地域が日本の植民地である
    任那日本府だったと漫画の様な主張をすることになる。
    また石上神宮に保管された七支刀の60字余りを作為的に解釈し、倭王が百済に下賜したと操作する。
    そして三国遺事、三国史記などは信じられず日本書紀だけ信じられると主張して征韓論の口実を
    理論的に作るに至る。結局、脱亜入欧を標ぼうして我が国や中国を植民化し、アジアの盟主を
    自任することになる。
    私たちの韓半島を日本の一部と考える最も典型的な事件が公州・扶余一帯に日本天皇墓を移そうと
    までしたことは単なる征韓ではなく自分たちの過去の土地を取り戻そうとする覆土の次元だっ
    た。
    明治維新後から今日まで約150年をアジアの盟主と自任をしたが、最近、韓国の政治・経済の成功と
    中国の大国化が成功して日本の代表企業ソニーをはじめとする多くの日本企業がサムスンをはじめと
    する様々な中国・韓国企業に制圧されるとすぐに明治維新以前の古代・中世史の悪夢がよみがえったのだ。
    その上、最近、日本は自然災害まで増してこれに不満と不安の極限状態に至り、彼らの本性の内部問題を
    外部に回して寝かそうとする特有の島国根性がよみがえった。独島(ドクト、日本名:竹島)をはじめ
    諸問題で無理難題を吹っかけ、我が国が上手く行っていることをねたましく思って牽制しているわけだ。
    すなわち、日本人自身に内在している一種のコンプレックスの露出である。
    数日後に96周年3・1記念日が帰ってくる。今、私たちの大韓民国は克日・抗日を越えて我ら自らが
    壬辰倭乱以前の大国に帰らなければならない。最小限、日本に関する限り、師匠の国、先祖の国、
    父母の国、そして日本の根の国に帰り、私たちの度量・謹厳さを見せるべきだろう。

    ソース:全民日報(韓国語) [新しい風]日本人たちの反韓感情はなぜ極端に流れるのか?
    http://www.jeonmin.co.kr/news/articleView.html?idxno=127350

    引用元: ・【韓国】韓国人教授「日本人の反韓感情はなぜ極端に流れるのか?師匠の国、先輩の国に対するコンプレックス」[2/26]

    【これが投影というものか。 【韓国】カン・ギルソン融合工学科教授「日本人の反韓感情はなぜ極端に流れるのか?師匠の国、先輩の国に対するコンプレックス」[2/26]】の続きを読む

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