まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

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    1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2016/08/22(月) 00:44:38.97 ID:CAP_USER
    今月8日、セヌリ党イ・ジョンミョン議員などが国会議員会館3セミナー室で開催した東海表記関連セミナーを見て感想を表明しようと思う。

    セミナー発表者キム・サンフン教授は尹奉吉(ユン・ボンギル)義士が義挙前に私たちに教えた東海と義挙を通じて知らせた日本海軍の陰謀、そして李舜臣(イ・スンシン)将軍が命がけで守った釜山(プサン)近海と鳴梁(ミョンニャン)海峡は、決して日本海と東海の併記で国際公認されないと主張した。

    また、日本は1876年朝鮮と江華島(カンファド)条約締結時に作成した日本総理訓令と指針、そして1883年、漢文と日本語の二つの言語で作成された国際条約に朝鮮海の名称とその領域を明確に表記し、同年9月27日、日本王の允準を受けて当時、日本の最高国家機関だった太政官の布告文34号にも同一に表記していたと明らかにした。

    しかし、日本はこのようにすでに国際条約で定めた朝鮮海とその領域を日帝強制占領期間、国際水路局に名称だけ日本海に変えて提出する陰湿で凶悪なことを犯したとキム教授は強調した。

    また、1928年発行された国際水路機構の彩色地図に日本海とその領域として現れるように陰謀を企てた者たちは日本海軍、野村吉三郎中将一党だったと明らかにして尹奉吉義士の中国上海虹口公園義挙で報復されて右目を失明した者と説明した。従って尹奉吉義士の義挙は結果的に日本海表記を図った核心謀議者を懲らしめた快挙としての大きな意味もあると強調した。

    尹奉吉義士の義挙は中国もあえて出来なかった大事件として蒋介石総統が急いで朝鮮の臨時政府を助け、独立運動に拍車を加える起爆剤にもなった。尹奉吉義士は義挙後、自決する拳銃を持っていたが、自決をあきらめて日帝のごり押し裁判を通じて天下に立証する、固い意思を確かめたが、結局8カ月後、大阪で惨事(銃殺)にあった。
    (中略:重光公使など)

    また一つ東海表記と独島領有権について日本政府は自己矛盾の失敗を犯した。当時、日本総理で全権をふるった伊藤博文が乙巳条約を締結して帰国したが、ちょうど島根県知事から上疏文が出された。上疏文には「日本政府は朝鮮海の表記を日本海に変え、独島(ドクト、日本名:竹島)を日本領土に迎え入れる措置を取って欲しい」という要旨であった。

    伊藤博文は日本最高統治司令部格である太政官の責任者だったが、すぐに島根県知事に「島根県知事は国政の是非を論じるな。日本政府は今まで朝鮮海の表記と独島を朝鮮領土と認定してきた基調を変えることはできない」と回答して、叱ったとする。そしてその公文書を総理府、外務省、島根県などに配布させた。

    筆者は10余年前にこの話を聞いて日本の親韓派国会議員と会って相談した。その議員は私を同行して議会図書館を訪れ3日間の調査の末、その公文書を探してはじめて手に入れることができた。カメラでその公文書(本物)を撮影してきた。この前、また閲覧しようとしたが議会担当者も知らずその公文書は消えてしまったということだ。島根県でも一緒に保管したその公文書が消えてしまったという。

    しかし、日本の著名な歴史学者らはこれを確認して日本政府の是正を促している。来年4月初めにモナコで開催される第19次国際水路機構(IHO)総会でこの問題が正しく扱われることを期待する。

    イ・イング鶏龍(ケリョン)建設名誉会長・13・15代国会議員
    http://dn.joongdo.co.kr/images/article/2016/08/21/201608211563_01.jpg

    ソース:中都日報(韓国語) [月曜朝]日本の東海表記と独島(ドクト)領有権
    http://www.joongdo.co.kr/jsp/article/article_view.jsp?pq=201608211563

    引用元: ・【韓国】 「日本政府は今まで朝鮮海の表記と独島を朝鮮領土と認定してきた」~島根県知事を叱った伊藤博文[08/21] [無断転載禁止]©2ch.net

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    1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2016/07/29(金) 01:00:33.21 ID:CAP_USER
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    「歴史のブラック・ボックス-倭城再発見」シム・ドンミョン、チェ・サンウォン、キム・ミョンドン著/1万5000ウォン

    私たちには二種類の外侵がある。隋、唐、元、清など北方系が第1で、南方の日本が第2だ。特異なのは北方系は関心が高い反面、南方系はそうではない。「そんなことがあるか?」と言いたいところだが、実際にそうなのだ。

    南海岸には壬辰倭乱、太平洋戦争など南方系戦争の遺跡が並んでいるが、大部分が無関心の中に捨てられたり毀損されている。太平洋戦争で日帝は戦争末期に米軍の韓半島上陸に備えて南海岸にこまかい防御網を構築した。釜山(プサン)から木浦(モクポ)に至るまで上陸予想地点ごとに観測施設と砲陣地を作って各種の重火器を配置した。解放と共にこれらの施設は一様に破壊された。

    反日感情は理解できるが、それほど望ましくは見えない。日本帝国主義の好戦性と蛮行の証拠であると同時に、国難を克服して得た戦利品であり、労役に動員された朝鮮民衆の血の汗でもあるからだ。

    壬辰倭乱もそうだ。倭軍は朝鮮で7年間、戦争しながら南海岸のあちこちに城を築いた。倭軍は二カ月間、破竹の勢いで韓半島を席巻したが、戦列を整備した朝鮮の民官合同作戦に押されて南海岸に雄拠して釜山(プサン)、昌原(チャンウォン)、巨済島(コジェド)一帯に城を築いて長期戦に突入した。

    明との終戦交渉が決裂するとすぐに撤収した軍隊を再び投じて既存の南東部の城を増改築し、一部は西進して固城、泗川、順天などの地に新しい城を築いた。これまで把握された残存倭城は30カ所余り。

    <倭城再発見>は国家文化財から地方文化材に格下げされ注目されない倭城の実状を把握し記録してその意味を再確認する。誰が、いつ、どこに、どのように積まれ、そこで何が起きたのかをコツコツ調べて7年にわたり朝鮮、倭、明など3国がからまった歴史のブラック・ボックスを開く。

    ブラック・ボックスといっても朝鮮の抗戦に焦点を合わせることによって断面的な記述にとどめた壬辰倭乱史を2つの民族の侵略と抗戦、一歩進んで東北アジアの状況に一大変化を呼んだ国際戦争と地平を広げる端緒を提供する。

    倭城は川や海付近の要衝地に位置したのが特徴。日本から兵力や物資を調達しやすく、いつでも北上できて失敗すれば簡単に退却できる。住民を入れるため比較的広い地域を一重で囲んだ朝鮮の城郭と違い、独立した山や丘陵を選んで頭目が居住し、戦闘を指揮する天守閣を中心に2~3重に防御線を構築した。城壁は60~70度で緩やかに傾斜し簡単に破壊されないようにした。

    そのため壬辰倭乱後期の海戦での連敗とは違い、陸上功城戦では朝明聨合軍の攻撃を防御するのに成功した。ただし、城中に井戸がなく、長期の戦いでは深刻な危機を迎えたこともある。戦後、築城技術は両国に影響を及ぼした。(中略)

    珍現象も起きた。倭城は近くの朝鮮城郭の城石を壊して使い、戦後朝鮮軍は倭城をはがして崩れた城郭を補修するなど同じ材料が行き来した。時に倭城は全て朝鮮軍駐屯地にリサイクルされることもあった。未踏の倭城を総整理した著者らの労苦に拍手を送る。

    イム・ジョンオプ選任記者

    ソース:ハンギョレ新聞(韓国語) 倭城は恥辱の物証でない戦利品だ
    http://www.hani.co.kr/arti/culture/book/754340.html

    引用元: ・【書籍】 倭城は恥辱の物証ではなく戦利品だ~「歴史のブラック・ボックス-倭城再発見」[07/28] [無断転載禁止]©2ch.net

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