まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    カテゴリ: 歴史

    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★@無断転載は禁止 2017/07/27(木) 20:05:31.63 ID:CAP_USER
    ■晋州城「ピチャ(飛車)」懇談会に人目集中
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    ピチャ発展委員会役員懇談会の様子

    ・ピチャ発展委員会25日、役員懇談会で活動実績共有
    ・市民「創造都市指定前に控えた今、ピチャ関心とても高い」

    壬辰倭乱当時、晋州城の上を飛んだ「ピチャ(飛車)」を広く知らせるため、ピチャ発展委員会役員懇談会に市民の注目が集まっている。

    ピチャ発展委員会が25日午後3時、晋州市役所5階の会議室で役員懇談会を開き、これまでのピチャ発展委員会の活動実績の共有と、今後のピチャに関する研究および広報計画について深い議論が交わされたためである。

    この日、懇談会に出席したイ・チャンヒ晋州市長も挨拶で「大韓民国の人類飛行機具の始発点であり、我々の先祖の卓越した才能と航空技術から案ずるに、航空産業が晋州に根を置いているということは当然のことだ」と説明するなど、ピチャ発展委員会役員懇談会に期待を示した。

    ピチャ発展委員会は、小説「晋州城ピチャ」を書いたキム・ドンミン作家、イ・イルグ弁護士を共同委員長とし、300にも上る発足会員の構成は、晋州だけでなく過去の晋州牧に属していた西部慶尚南道地域の市民を土台とする。

    「空を飛ぶ車」という意味のピチャは、壬辰倭乱時に日本軍に包囲された晋州城で、軍官チョン・ピョンクが作った飛行体として知られているもので、1903年のライト兄弟の初期飛行より300年も早いのである。

    壬辰倭乱当時、晋州城が倭賊に包囲されると30里(12km)を私はピチャを作って人を救出し軍需物資を輸送する、など日本軍が作戦を展開するのに酷い苦境に立たされた記録が残っている。

    しかし、ピチャの実物が残っておらず、設計図などの記録がないため、公式的な認定を受けられずにいる状況だ。

    市民のキム(63)氏は「壬辰倭乱当時、晋州城の上を飛んでいたことが知られているピチャの実物だけでなく設計図のような記録がないため、公式的な認定を受けられない状況だなんて胸が痛い」とし、
    「毎週土曜日、晋州城一帯で常設公演され、無形文化財もユネスコ民俗芸術の創意都市指定を祈願している時期であるため、ピチャに対する関心が非常に高い」と話した。

    ソース ニュース慶南(韓国語)
    http://www.newsgn.com/sub_read.html?uid=175403&section=sc45
    ※前スレ
    【韓国/航空技術】 壬辰倭乱時に空を飛んだ「ピチャ(飛車)」、発展委員会開催 ~ライト兄弟の初期飛行より300年早く[07/27]
    http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1501143119/
    LingLing ★さん

    引用元: ・【韓国/航空技術】 壬辰倭乱時に空を飛んだ「ピチャ(飛車)」、発展委員会開催 ~ライト兄弟の初期飛行より300年早く[07/27] ★2 [無断転載禁止]©2ch.net

    【【えっ?実物も設計図も無くても言っちゃうの?】「ピチャ(飛車)はライト兄弟より300年も早く飛んだ」発展委員会開催 小説「晋州城ピチャ」を書いたキム・ドンミン作家が共同委員長】の続きを読む

    1: LingLing ★@無断転載は禁止 2017/04/19(水) 15:37:39.87 ID:CAP_USER
    ■世界最初の日刊紙は朝鮮時代の新聞?推定文書発見

    画像:志逢僧侶が公開した1577年陰暦11月23日付朝報。昨夜の天気が記録されている。
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    『朝鮮王朝実録』の記録で言及されていた世界最初の新聞「朝報」の実物とされる文書が発見された。

    今までは1660年、ドイツで発行された「ライプチガー・ツァイトゥング(Leipziger Zeitung)」が世界最初の新聞に知られている。

    慶尚北道永川市(キョンサンブクド・ヨンチョンシ)の也史洞(ヤサドン)に位置した龍華(ヨンファ)寺の住持・志逢(チボン)僧侶は「今月上旬に古書籍の競売サイトで入手した」と18日、話した。

    志逢僧侶は「1月に競売サイトに朝報が登場したが、4月まで誰も関心を示さなかった。私が20年間、書誌研究に関心を注いできたので入手することになった」と付け加えた。

    志逢僧侶が入手した資料は8枚となっている。朝報に掲載されたものと見られる記事が含まれている。1577年陰暦11月6日や15日、19日、23日、24日など計5日分だ。

    6日付には恭懿殿(仁聖大妃)にご機嫌をうかがう内容、経筵(王と臣下が国政を協議し学問を論じること)が開かれなかったという内容が記されている。

    15日付には数百匹の牛が伝染病にかかって死んだという内容も載せられている。23日付にはその日の天気や星座を記録した内容がある。24日付には臣下の人事移動の内容が記されている。

    朝報に対する記録は『朝鮮王朝実録』の中で『宣祖実録』1577年陰暦11月28日付に初めて登場する。宣祖が偶然に朝報の存在に気付いて大臣たちを叱る内容だ。

    また、朝報の発行に参加した約30人に過酷な刑罰を下したと、『宣祖実録』に記されている。

    宣祖が朝報の発行にこのように怒った理由は、民間や外国に国家の機密を漏洩して王室の面子がつぶれたと見なされたためと見られる。

    志逢僧侶は「朝報の発行は当時、朝廷では非常に大きな事件だった。朝報を発行した人々は突然姿を消し、朝報を入手した人々もこれを廃棄したり、隠したりしなければならなかった」と説明した。

    実際に今回発見された朝報とされる文書も書籍の表紙を作る際にリサイクルされていたところ、遅まきながら発見された。

    慶北大学文献情報学科のナム・グォンヒ教授は「形態的・内容的な面で見ると、本物である可能性が大きい」とし、ただ残念なところは、朝報のごく一部だけが発見されて文化財として認められるには困難があるようだ」と評価した。

    書誌学者のキム・ヨンボクさんは「朝報は、中央政府の主な決定や人事事項などを地方官庁に伝える役割を果たしていた」とし、「これまで朝鮮後期の筆写本の朝報がたびたび発見されてきたが、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)前の朝鮮前期に印刷された朝報はまだ見つかっていない」と話した。

    彼は「今回の遺物が(8枚の)紙切れの形となっていることから、もう少し正確な追跡研究が必要だ」とした。

    http://japanese.joins.com/article/239/228239.html

    関連【韓国】世界最古とされた金属活字に「宝物の価値なし」と最終判定[04/15]©2ch.net
    http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1492214316/

    引用元: ・【韓国】 世界最初の日刊紙は朝鮮時代の新聞?推定文書発見[04/19] [無断転載禁止]©2ch.net

    【【と、いう夢をみた】 世界最初の日刊紙は朝鮮時代の「朝報」、実物を発見】の続きを読む

    1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2017/03/07(火) 14:06:14.84 ID:CAP_USER
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    ▲新式結婚式を挙げる新郎新婦。彼らの横に高級ウェディング・カーが見える。平安北道新義州、1937年。
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    ▲平壌カンブリ大聖堂がある丘から眺めた平壌大同門や昔の市街地、大同江。
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    ▲大聖堂の建物の前で弟をおぶったまだあどけない笑顔を見せる少女。彼女と弟は解放と分断後どういう道を歩いたのだろうか。平安南道中和郡、1933年。
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    ▲晴れた日に教師の引率で遠足に行く平壌の少年少女たち。明るく笑う彼らの顔の向こう、大同川沿いの緩やかな丘陵、わらぶきがかすかに目に入る。平壌郊外のサフォーク大聖堂があり、1937年。
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    ▲大聖堂前でクロスプレイする少女たち、平安北道義州。
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    ▲1930年代、平安北道義州郡の通り。水浸しになった通りと水のない手前の道で豚が歩き回っている。
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    ▲写真集「私たちの神父様は写真家」表紙。
    (記者注:日韓併合は1910~1945年。1930年代の写真に写った少女たちは併合後に生まれた計算になる)

    限りなくきれいな顔。白い歯を見せてにっこり笑いながら縄跳びをする短い髪の女の子。平壌(ピョンヤン)付近の畑の堤防の道を歩いて三々五々遠足に行く少年少女たちの春の花のような微笑。彼らはその後、どんな人生を体験したのだろうか。今も生きているなら南と北のどちらで暮らしているのだろうか。

    70~80年前の平壌(ピョンヤン)と平安道(ピョンアンド)一帯の聖堂付近で撮られた彼らの写真は詩人ペクソクが平安道の人と風俗について書いた郷土詩そのものだ。解放後に近づいた分断と戦争でより一層かすんでしまったその時期、北方の空間への郷愁と現地の人々の後日談を想像させるイメージだ。

    1930~40年代、北方平安道地域の生活風景、子供たちと少女の日常、結婚・葬儀・栽培などの暮らしを集めたアルバムが出た。1922年から太平洋戦争後に強制撤収された44年まで、平壌と鎮南浦、義州など平南北一帯で布教と住民ボランティア、教育活動を行った米国メリノール外邦宣教会所属の神父らが取った写真150点余りを集めた<私たちの神父様は写真家>(2万ウォン)だ。
    (後略:写真が見つかった経緯など)

    ハンギョレ|作成者ノ・ヒョンソク記者

    ソース:ハフィントン・ポスト(韓国語) 日帝強制占領期間平安道(ピョンアンド)と平壌(ピョンヤン)一帯の生活像を取った写真らが公開
    http://www.huffingtonpost.kr/2017/03/05/story_n_15178788.html

    関連サイト:「私達の神父様は写真家…遠い昔の北朝鮮」もっと多くの写真が見られます
    http://pictorial.hani.co.kr/slide.hani?sec1=005&sec2=001&sec3=145&seq=0

    引用元: ・【韓国】 楽しい遠足、輝く笑顔、日帝強制占領期の朝鮮の生活を撮影した写真集『私たちの神父様は写真家』公開(写真) [03/06] [無断転載禁止]©2ch.net

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    1: ◆qQDmM1OH5Q46 2017/02/26(日)22:00:04 ID:???
    台湾の2・28事件で韓国人被害者に初認定、賠償金支払い

     台湾の国民党政権が住民を弾圧、多数殺害した1947年の「2・28事件」で、被害認定を担う財団法人は25日、
    死亡した韓国人の朴順宗さんを被害者と認定し、遺族に対する賠償金の支払いを決めた。同事件で韓国人の被害が認定されたのは初めて。

     賠償金は600万台湾元(約2190万円)という。昨年2月には、沖縄県出身の遺族による被害申請が認定され、同額の賠償金支払いが決まった。

    続き 産経ニュース/共同通信
    http://www.sankei.com/world/news/170225/wor1702250051-n1.html


    ◆◆◆ニュー速+ 記事情報提供スレ 66◆◆◆
    http://uni.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1488013642/66

    引用元: ・【台湾】台湾の2・28事件で韓国人被害者に初認定、賠償金支払い [H29/2/26]

    【【未来永劫タカられる】台湾が「公的記録が無い」韓国人を被害者と認定、賠償金支払い [H29/2/26]】の続きを読む

    1: 荒波φ ★@無断転載は禁止 ©2ch.net 2017/02/05(日) 09:15:40.29 ID:CAP_USER
    歴史小説や歴史ドラマの歴史歪曲(わいきょく)問題は、昨日今日始まったことではない。
    歴史ドラマが放送されると、ドラマの主人公を取り上げた歴史小説も争うように出版される。

    脚本の基になった小説は再版され、放送に合わせて急いで書かれた本も出てくる。最近だと『花郎』がそうだ。
    かつての『淵蓋蘇文』や『善徳女王』、『大祚栄』もそうだった。

    歴史小説にせよ歴史ドラマにせよ、歴史の大衆化に寄与するというのはよいことだ。韓国の歴史を広く伝えて自負を持たせるという面で、前向きな現象ともいえる。
    しかし、歴史的実体を作家が恣意(しい)的に解釈してゆがめてはならない。

    歴史小説は歴史の本ではないのだから想像力が割り込む余地はあるが、想像力を発揮し過ぎて、あったことをなかったかのように、
    なかったことをあったかのように、実体をゆがめてよいだろうか。

    高句麗の大武神王を主人公にした歴史小説を読んで、あきれてしまった。夫余の将帥が身分を明かせと言うと「われ、大武神王!」と言い返す場面があった。
    大武神王とは死後にささげられた尊号であって、生前用いられた称号ではない。

    また、ある歴史小説では「来週見よう」というせりふが出てくる。1週間という単位が登場するのは、キリスト教が入ってきた後の話だ。

    李舜臣(イ・スンシン)将軍を主人公にしたある小説では、李舜臣が三道水軍統制使を罷免されてソウルに連行される際、
    逮捕に来た人々を「禁府都事」と表現していた。実際は禁府都事ではなく、宣伝官と呼ばれる武官だった。

    この程度なら、枝葉末節なミスといえるだろうが、基本史料たる『宣祖実録』を読んでいれば犯さない誤りだ。
    このように小説が考証をしないので、歴史ドラマの歴史歪曲となるともはや言うまでもない。

    『不滅の李舜臣』では、亀甲船が進水式当日にひとりでに沈んだと描写され、あっけにとられてしまった。

    数年前に放送された『女人天下』では、文定王后の弟のはずの尹元衡(ユン・ウォンヒョン)を「兄」にしてしまっていた。
    よその家系にまで手を加えておいて、制作責任者が「ドラマを面白くするため」と言っているのを見て、あきれてしまった。

    例を挙げるとごまんとある。高句麗の将軍・淵蓋蘇文が新羅の将軍キム・ユシンの家で下働きをしていたとか、
    その時期なら既に老いて死んでいるはずの新羅の女性貴族・美室宮主が依然として美しい姿で登場するとか、
    実際にはまだ生まれてもいない大祚栄(初代の渤海国王)が淵蓋蘇文の家で召し使いをしていたとかいう設定はただのでっち上げだ。

    こうしたでっち上げの極致は『風の絵師』だ。正真正銘男性の申潤福(シン・ユンボク)を男装の女性にしてしまった。
    『花郎』でも、若いころの真興王(三麦宗)が同じ年頃の若者と交流し、首都・徐羅伐の内外を走り回っているが、
    実際には真興王は7歳で即位し、18歳になるまで母親の只召太后が摂政をしていた。

    また、伽耶史を扱った歴史小説に「韓国では18世紀まで、いかなる車も使ったことがない」という記述が登場したが、全くでたらめだ。
    あまたの高句麗古墳の壁画に登場する多くの車を、この作家は本当に一度も見たことがないのだろうか。

    こうした基本的な常識にも合わない歴史小説を書かれては困る。
    本を売り、金を稼ぎ、視聴率を上げたいという商業的な計算を優先して歴史を軽く考える態度は捨てるべきだ。

    歴史を勝手に歪曲し、でっち上げるのは、無責任を通り越して、正しい歴史教育に逆行する犯罪にほかならない。
    でたらめな歴史小説や歴史ドラマを作る行為は、読者の籠絡だ。だから、きちんと勉強して書けと強調しているのだ。

    2017/02/05 06:07
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/02/03/2017020301544.html
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/02/03/2017020301544_2.html

    引用元: ・【朝鮮日報】韓国小説・ドラマの歴史歪曲は犯罪レベルだ=ファン・ウォンガプ小説家・歴史研究家[02/05]©2ch.net

    【【それより教育の方をなんとかしろよw】韓国人歴史研究家「韓国小説・ドラマの歴史歪曲は犯罪レベル」】の続きを読む

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