まぜるな!キケン!!速報

韓国、中国の危険なニュースのまとめ。 「マゼルナ、キケン」

    カテゴリ: 歴史

    1: ねこ名無し ★@無断転載は禁止 2017/08/30(水) 23:52:41.58 ID:CAP_USER
    2018年までに労働者健康・教育・権益センターとして完工予定

    1970年、勤労基準法の遵守を叫んで焼身・抵抗したチョン・テイル烈士を賛える記念館が、来年ソウル市の清渓川(チョンゲチョン)3街に作られる。

    ソウル市は30日、「チョン・テイル労働複合施設」を現在チョン・テイル銅像が立っている平和市場チョン・テイル橋から1550メートル離れたところに作る基本設計案を発表した。

    1~6階で延面積2062平方メートルの規模で作られるチョン・テイル記念館は、元は1962年にキム・ジョンス氏が設計したウリ銀行水標橋(スピョギョ)支店の建物で、今回労働複合施設に改造する計画だ。

    チョン・テイル記念館、労働史展示館、公演会場、ソウル労働権益センター、労働者健康増進センターが入居し、かつて労働者の権利を要求して捧げられた血と汗の歴史のみならず、現在の労働者の抱える困難を解決する所としても使われる。最上階の6階には、感情労働者権利保護センターが入る。

    ソウル市のパク・ギョンファン労働政策担当官は「肉体労働による労災は不十分だが保護・支援政策が着実に用意されてきたのに対し、ソウル市だけで260万人に及ぶ感情労働者に対する保護はほとんど何もされてこなかった」として「チョン・テイル記念館の一階を感情労働者のための空間として使い、労働政策の変化方向に対して試行と改善を続けていく」と話した。

    記念館は今年11月に着工し、2018年下半期に開館する予定だ。

    この日開かれた「チョン・テイル労働複合施設建設推進委員会」1次会議には、パク・ウォンスン市長をはじめチョン・テイル財団のイ・スホ理事長とチョン・テイル烈士の妹であるチョン・スンオク共に民主党小商工人特別委員会委員長、チョ・ヒヨン・ソウル市教育長、チェ・ジョンジン民主労総委員長職務代行、キム・ジュヨン韓国労総委員長らが参加した。

    ナム・ウンジュ記者

    http://japan.hani.co.kr/arti/politics/28326.html

    no title

    チョン・テイル記念館に作られる1960年代の縫製工場の姿を再現した労働体験館=ソウル市提供//ハンギョレ新聞社
    no title

    チョン・テイル記念館完成予想図=ソウル市提供//ハンギョレ新聞社

    引用元: ・【韓国】ソウル市、清渓川3街に「チョン・テイル烈士を賛える記念館」建設[8/30] [無断転載禁止]©2ch.net

    【【勤労基準法の遵守を叫んで焼身】ソウル市、清渓川3街に「チョン・テイル烈士を賛える記念館」建設】の続きを読む

    1: 名無しさん@涙目です。(千葉県)@無断転載は禁止 [US] 2017/08/23(水) 08:10:12.13 ID:ofOKx8Lq0 BE:819973909-2BP(2000)
     韓国の文大統領の様々な指示の中でもユニークなのは「伽耶史を復元せよ」とする歴史学会への要請だ。
    古代の伽耶諸国は、慶尚道から全羅道に及ぶ地域にあった。そこで伽耶史を見直せば両道の差別意識を
    突き崩せる、というのが狙いだ。

     しかし、朝鮮半島に伽耶史に関する史料は皆無といえる。それでも「復元して見直せ」と言うのなら、
    やがて出てくるものは“お家芸”ファンタジー創史でしかあるまい。

     韓国のインテリなら「史料はある。『駕洛国記』を知らないのか」と叫ぶだろう。だが、『駕洛国記』は、
    原本はもちろん写本もない。あるのは野史『三国遺事』(1289)に収められた抄録だけだ。
     そこには、天から降りてきた金の卵から次々男児が生まれ、伽耶5カ国の王になったこと、
    長男である金首露にはインドの阿踰ダ国から王女が嫁いできたという神話が載っている。
     日本の史学者にも、「天孫降臨の原型だ」と、はしゃぎ回った人がいた。

     ところが、半島に伝わる最古の正史『三国史記』(1145)は、金首露の子孫である新羅の英雄
    金ユ信の墓誌に「少昊金天氏之後、故姓金」とあるとを記している。
     つまり「天孫降臨の原型」は、金ユ信の没後、何者かによるファンタジー神話なのだ。

     『三国史記』は、その下手人についても示唆している。金ユ信の玄孫が一族の伝記を書いたが
    「頗多醸辞、故刪落之」と。つまり、捏造があまりにも多いので採用しなかった、と。

     一方『三国遺事』は『三国史記』が載せなかった史料は何でも載せる編纂方針だ。だから檀君神話まで
    載っているが、『駕洛国記』は抄録しか載せなかった。とても史料批判に堪える内容ではない。

     だが、朝鮮日報の元東京特派員は、文大統領の指示に「世界史上、これほどのロマンスがあるだろうか。
    16歳の王女がインドから3カ月間船に乗って朝鮮半島に渡ってきて国王と結婚した」(朝鮮日報2017年6月12日)
    とはしゃいでいる。国際部長、論説委員まで歴任したインテリでも、このレベルなのだ。

    続きはそーすで
    http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170817/soc1708170013-n1.html
    文大統領“ファンタジー指令”の愚 歴史学会ヘ「伽耶史を復元せよ」

    【【酋長自らコリエイト宣言かよw】韓国大統領「歴史を作る!」記録が存在しない時代の歴史を復元指令、国民はロマンチックと喜ぶ】の続きを読む

    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★@無断転載は禁止 2017/07/27(木) 20:05:31.63 ID:CAP_USER
    ■晋州城「ピチャ(飛車)」懇談会に人目集中
    no title

    ピチャ発展委員会役員懇談会の様子

    ・ピチャ発展委員会25日、役員懇談会で活動実績共有
    ・市民「創造都市指定前に控えた今、ピチャ関心とても高い」

    壬辰倭乱当時、晋州城の上を飛んだ「ピチャ(飛車)」を広く知らせるため、ピチャ発展委員会役員懇談会に市民の注目が集まっている。

    ピチャ発展委員会が25日午後3時、晋州市役所5階の会議室で役員懇談会を開き、これまでのピチャ発展委員会の活動実績の共有と、今後のピチャに関する研究および広報計画について深い議論が交わされたためである。

    この日、懇談会に出席したイ・チャンヒ晋州市長も挨拶で「大韓民国の人類飛行機具の始発点であり、我々の先祖の卓越した才能と航空技術から案ずるに、航空産業が晋州に根を置いているということは当然のことだ」と説明するなど、ピチャ発展委員会役員懇談会に期待を示した。

    ピチャ発展委員会は、小説「晋州城ピチャ」を書いたキム・ドンミン作家、イ・イルグ弁護士を共同委員長とし、300にも上る発足会員の構成は、晋州だけでなく過去の晋州牧に属していた西部慶尚南道地域の市民を土台とする。

    「空を飛ぶ車」という意味のピチャは、壬辰倭乱時に日本軍に包囲された晋州城で、軍官チョン・ピョンクが作った飛行体として知られているもので、1903年のライト兄弟の初期飛行より300年も早いのである。

    壬辰倭乱当時、晋州城が倭賊に包囲されると30里(12km)を私はピチャを作って人を救出し軍需物資を輸送する、など日本軍が作戦を展開するのに酷い苦境に立たされた記録が残っている。

    しかし、ピチャの実物が残っておらず、設計図などの記録がないため、公式的な認定を受けられずにいる状況だ。

    市民のキム(63)氏は「壬辰倭乱当時、晋州城の上を飛んでいたことが知られているピチャの実物だけでなく設計図のような記録がないため、公式的な認定を受けられない状況だなんて胸が痛い」とし、
    「毎週土曜日、晋州城一帯で常設公演され、無形文化財もユネスコ民俗芸術の創意都市指定を祈願している時期であるため、ピチャに対する関心が非常に高い」と話した。

    ソース ニュース慶南(韓国語)
    http://www.newsgn.com/sub_read.html?uid=175403&section=sc45
    ※前スレ
    【韓国/航空技術】 壬辰倭乱時に空を飛んだ「ピチャ(飛車)」、発展委員会開催 ~ライト兄弟の初期飛行より300年早く[07/27]
    http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1501143119/
    LingLing ★さん

    引用元: ・【韓国/航空技術】 壬辰倭乱時に空を飛んだ「ピチャ(飛車)」、発展委員会開催 ~ライト兄弟の初期飛行より300年早く[07/27] ★2 [無断転載禁止]©2ch.net

    【【えっ?実物も設計図も無くても言っちゃうの?】「ピチャ(飛車)はライト兄弟より300年も早く飛んだ」発展委員会開催 小説「晋州城ピチャ」を書いたキム・ドンミン作家が共同委員長】の続きを読む

    1: LingLing ★@無断転載は禁止 2017/04/19(水) 15:37:39.87 ID:CAP_USER
    ■世界最初の日刊紙は朝鮮時代の新聞?推定文書発見

    画像:志逢僧侶が公開した1577年陰暦11月23日付朝報。昨夜の天気が記録されている。
    no title


    『朝鮮王朝実録』の記録で言及されていた世界最初の新聞「朝報」の実物とされる文書が発見された。

    今までは1660年、ドイツで発行された「ライプチガー・ツァイトゥング(Leipziger Zeitung)」が世界最初の新聞に知られている。

    慶尚北道永川市(キョンサンブクド・ヨンチョンシ)の也史洞(ヤサドン)に位置した龍華(ヨンファ)寺の住持・志逢(チボン)僧侶は「今月上旬に古書籍の競売サイトで入手した」と18日、話した。

    志逢僧侶は「1月に競売サイトに朝報が登場したが、4月まで誰も関心を示さなかった。私が20年間、書誌研究に関心を注いできたので入手することになった」と付け加えた。

    志逢僧侶が入手した資料は8枚となっている。朝報に掲載されたものと見られる記事が含まれている。1577年陰暦11月6日や15日、19日、23日、24日など計5日分だ。

    6日付には恭懿殿(仁聖大妃)にご機嫌をうかがう内容、経筵(王と臣下が国政を協議し学問を論じること)が開かれなかったという内容が記されている。

    15日付には数百匹の牛が伝染病にかかって死んだという内容も載せられている。23日付にはその日の天気や星座を記録した内容がある。24日付には臣下の人事移動の内容が記されている。

    朝報に対する記録は『朝鮮王朝実録』の中で『宣祖実録』1577年陰暦11月28日付に初めて登場する。宣祖が偶然に朝報の存在に気付いて大臣たちを叱る内容だ。

    また、朝報の発行に参加した約30人に過酷な刑罰を下したと、『宣祖実録』に記されている。

    宣祖が朝報の発行にこのように怒った理由は、民間や外国に国家の機密を漏洩して王室の面子がつぶれたと見なされたためと見られる。

    志逢僧侶は「朝報の発行は当時、朝廷では非常に大きな事件だった。朝報を発行した人々は突然姿を消し、朝報を入手した人々もこれを廃棄したり、隠したりしなければならなかった」と説明した。

    実際に今回発見された朝報とされる文書も書籍の表紙を作る際にリサイクルされていたところ、遅まきながら発見された。

    慶北大学文献情報学科のナム・グォンヒ教授は「形態的・内容的な面で見ると、本物である可能性が大きい」とし、ただ残念なところは、朝報のごく一部だけが発見されて文化財として認められるには困難があるようだ」と評価した。

    書誌学者のキム・ヨンボクさんは「朝報は、中央政府の主な決定や人事事項などを地方官庁に伝える役割を果たしていた」とし、「これまで朝鮮後期の筆写本の朝報がたびたび発見されてきたが、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)前の朝鮮前期に印刷された朝報はまだ見つかっていない」と話した。

    彼は「今回の遺物が(8枚の)紙切れの形となっていることから、もう少し正確な追跡研究が必要だ」とした。

    http://japanese.joins.com/article/239/228239.html

    関連【韓国】世界最古とされた金属活字に「宝物の価値なし」と最終判定[04/15]©2ch.net
    http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1492214316/

    引用元: ・【韓国】 世界最初の日刊紙は朝鮮時代の新聞?推定文書発見[04/19] [無断転載禁止]©2ch.net

    【【と、いう夢をみた】 世界最初の日刊紙は朝鮮時代の「朝報」、実物を発見】の続きを読む

    1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2017/03/07(火) 14:06:14.84 ID:CAP_USER
    no title

    ▲新式結婚式を挙げる新郎新婦。彼らの横に高級ウェディング・カーが見える。平安北道新義州、1937年。
    no title

    ▲平壌カンブリ大聖堂がある丘から眺めた平壌大同門や昔の市街地、大同江。
    no title

    ▲大聖堂の建物の前で弟をおぶったまだあどけない笑顔を見せる少女。彼女と弟は解放と分断後どういう道を歩いたのだろうか。平安南道中和郡、1933年。
    no title

    ▲晴れた日に教師の引率で遠足に行く平壌の少年少女たち。明るく笑う彼らの顔の向こう、大同川沿いの緩やかな丘陵、わらぶきがかすかに目に入る。平壌郊外のサフォーク大聖堂があり、1937年。
    no title

    ▲大聖堂前でクロスプレイする少女たち、平安北道義州。
    no title

    ▲1930年代、平安北道義州郡の通り。水浸しになった通りと水のない手前の道で豚が歩き回っている。
    no title

    ▲写真集「私たちの神父様は写真家」表紙。
    (記者注:日韓併合は1910~1945年。1930年代の写真に写った少女たちは併合後に生まれた計算になる)

    限りなくきれいな顔。白い歯を見せてにっこり笑いながら縄跳びをする短い髪の女の子。平壌(ピョンヤン)付近の畑の堤防の道を歩いて三々五々遠足に行く少年少女たちの春の花のような微笑。彼らはその後、どんな人生を体験したのだろうか。今も生きているなら南と北のどちらで暮らしているのだろうか。

    70~80年前の平壌(ピョンヤン)と平安道(ピョンアンド)一帯の聖堂付近で撮られた彼らの写真は詩人ペクソクが平安道の人と風俗について書いた郷土詩そのものだ。解放後に近づいた分断と戦争でより一層かすんでしまったその時期、北方の空間への郷愁と現地の人々の後日談を想像させるイメージだ。

    1930~40年代、北方平安道地域の生活風景、子供たちと少女の日常、結婚・葬儀・栽培などの暮らしを集めたアルバムが出た。1922年から太平洋戦争後に強制撤収された44年まで、平壌と鎮南浦、義州など平南北一帯で布教と住民ボランティア、教育活動を行った米国メリノール外邦宣教会所属の神父らが取った写真150点余りを集めた<私たちの神父様は写真家>(2万ウォン)だ。
    (後略:写真が見つかった経緯など)

    ハンギョレ|作成者ノ・ヒョンソク記者

    ソース:ハフィントン・ポスト(韓国語) 日帝強制占領期間平安道(ピョンアンド)と平壌(ピョンヤン)一帯の生活像を取った写真らが公開
    http://www.huffingtonpost.kr/2017/03/05/story_n_15178788.html

    関連サイト:「私達の神父様は写真家…遠い昔の北朝鮮」もっと多くの写真が見られます
    http://pictorial.hani.co.kr/slide.hani?sec1=005&sec2=001&sec3=145&seq=0

    引用元: ・【韓国】 楽しい遠足、輝く笑顔、日帝強制占領期の朝鮮の生活を撮影した写真集『私たちの神父様は写真家』公開(写真) [03/06] [無断転載禁止]©2ch.net

    【【みんなニッコニコやんw】(写真)日帝強制占領期の朝鮮の生活を撮影した写真集『私たちの神父様は写真家』公開】の続きを読む

    このページのトップヘ